シュタイナーノート136

魂の試練


2007.4.16

    小さな日常生活において、たとえば或る人と知り合い、しばらくの間、
   この人は思った通りの人だと信じていたのに、その人が突然別人のような
   態度を示したとしましょう。そういうとき、私たちは彼らから離れていく
   か、それともこの点を克服して、更に信頼を保ち続けるかするでしょう。
   後者の場合、私たちは友情の試練に合格したのです。
    宇宙の奇蹟に対しては、こういう試練もあります。宇宙の奇蹟について
   感じ、考えたことのすべてをもって、私たちは全身していきますが、もち
   ろんそのときは、別の世界に向き合うのではなく、私たちが繰り返し同じ
   世界を直視するたびに、常に別のものが私たちの前に現れ、常に新たにこ
   う言わざるをえないのです。ーー「これまで見てきたものは、何だったの
   か」。
   (…)
    私たちは魂の試練を恐れてはならないのです。なぜなら、私たちの眼の
   前に現れる世界をどのように新たに形成するにしても、試練に耐えていか
   なければならないのですから。試練を避けることは、真の精神生活の死を
   意味します。
    「魂の試練を恐れてはならない。なぜなら霊界へ参入するために、私た
   ちを強くしてくれるのが魂の試練なのだから」。ーーそう言えるようでな
   ければならないのです。
   (ルドルフ・シュタイナー『ギリシアの神話と秘儀』第9講より
    シュタイナーコレクション4『神々との出会い』筑摩書房 所収 P.249-251)

仏教は、「人生は苦である」という認識を基礎に置いている。
いわゆる、「四苦八苦」である。

四苦とは、生老病死のこと。
そして、八苦とは、先の四苦に、
愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦を加えたもの。

愛別離苦とは、愛する人と別れなければならない苦しみ。
怨憎会苦は、その逆に、嫌な人と会わなければならない苦しみ。
求不得苦は、欲するものが得られない苦しみ。
五蘊盛苦とは、人間がそれから成り成っているといわれる
色・受・想・行・識という五蘊そのものによる苦しみで、
色は肉体、受は外界からの感受、想は表象、行は意志、識は認識、
それらそれぞれがもとでさまざまに苦しんでしまうということ。

魂の試練の基本はといえば、
まずはこの四苦八苦に関わるすべてのことに及ぶ。
その四苦八苦は避けようとしても避けることのできないものばかりであり、
そうしたおびただしい苦しみをいかに克服するかということが
「真の精神生活」だということができる。

しかし、どうも「人生は苦である」といってしまうのは
マゾヒスティックな感じがしてどうにも暗い。
ときには暗くなってしまうのは仕方はないとしても、
常に重荷を背負っていきている感じはできれば避けたい。

要は、魂の足腰を鍛えるためのギブスのようなものが
このさまざまな苦しみだというふうにとらえたほうがいい。
従って、ひとによってそのギブスの種類や強さはさまざまであるし、
必要な段階におうじて次第に増強していく必要がでてくる。

ある人にとってはなんでもないような苦しみでも、
別のある人にとっては耐え難い苦しみになってしまうし、
最初は耐え難い苦しみのように感じてあえいえでいても、
それをクリアした後ではそれほどの苦しみとは感じないようになるだろう。

しかし問題はこれからである。
この四苦八苦の克服だけに終始してしまうと
その先にはいけないだろう。
この四苦八苦というのは基本的に受け身であって、
積極的な展開とはいえないのだから。

私たちが通常目にしているさまざまなものや体験を
みずからの認識力を高めていくことによって
それまでとは違った多角的で総合的な視点で
見るべく鍛えるということがその積極的な展開だといえるだろう。

それを日々鍛えることによって、
おなじものを見るにしても、まさに、
「これまで見てきたものは、何だったのか」
という驚嘆すべき認識のシフトが次々と起こってくる。

シュタイナーの精神科学の示唆してくれるさまざまな認識には
そうした「これまで見てきたものは、何だったのか」
というほどの示唆が豊かに満載されている。
石灰岩ひとつ見るにしても、精神科学的にみることで、
世界そのものがまるで別の様相に見えてくるのである。
つまり、世界そのものが奇蹟であり、
自分がいまここにいることそのものが奇蹟であることが
具体的に実感されてくる。

そんななかで受ける四苦八苦は、
その苦しみそのものが軽減するわけではないにしても、
そして別の意味では、自分の苦しみだけではなく、
認識の拡大におうじたもっと大きな苦しみを
引き受けさえすることにもなるだろうが、
それらが精神科学的な光に照らされることで見えてくる世界は
それまでとはまったく異なったものになるのではないだろうか。

そのためにも、日々、ひとつひとつ現れてくる
さまざまな魂の試練に立ち向かう勇気が必要である。
(・・・というふうに、ぼくは日々自分を説得しようとしているのだが、
試練は試練なので、そんなに簡単なことではないのはもちろんである、やれやれ)