シュタイナーノート122

私たちの思考方法のなかにある精神科学理解の困難さ


2006.1.10.

ほかの科学においては、前提を習得することが必要です。それに対して
精神科学は、精神科学の言語を理解しようと努める人には理解できるも
のです。しばしば、「精神科学は難しい」と言われるのは、自分で作っ
た先入観をもって精神科学に取り組むからにすぎません。困難さは精神
科学の言語のなかにあるのではなく、私たちの思考方法のなかにあるの
です。
(シュタイナー『エーテル界へのキリストの出現』アルテ/P.135)

精神科学を理解するためには、ある種の柔軟さが必要になる。
とくに、現代のような認識の枠組みのなかで、
すぐれた成果を収めている方ほど
そうした柔軟さを得ることは難しくなるところもあるかもしれない。
さまざまな「壁」がそこには立ちふさがってくるからだ。

まず、精神科学=神秘学の学と通常の学との違いがある。
シュタイナーが『神秘学概論』のなかでも述べているように、
神秘学の学と通常の科学の違いは
その対象とするものが異なっているために、
そのアプローチ方法が異なっているだけであり、
そのアプローチのための認識の拡大が必要になる。
とはいえ、神秘学を理解しようとする際、
必ずしも、いわば超感覚的な能力がいますぐ必要だというわけではないのだが、
そこのあたりで、大きな先入見の壁が立ちふさがってしまうのだ。

それに、通常の科学で説明されているようなさまざまな思考方法や
ほとんど疑いなく受け入れられている仮説、
たとえば、人間は猿から進化した、というような観点で
さまざまに武装しているため、
その武装を開いて、率直にものごとを見ようとする態度を
もはやもてなくなってしまっているというのもある。

ただ「霊」というだけで、おどろおどろしいお化けのようなものしか
イメージできなくなってしまうのも、もっとも最初の「壁」だろう。
もっとも、聖書などを読めばほとんどの場合「霊」という言葉が
ふつうに用いられているので、その分垣根は低いかもしれないが、
今度は、ふつうのキリスト理解が壁になってしまうところがある。

シュタイナーの基本書のなかで、
もっとも容易に読めるであろう『神智学』でさえ
もし読みにくいとしたならば
それは人間観として、肉体以外のものが構成要素としてでてくるところや
死後のさまざまな世界などについてのイメージに
ついていけないところを感じてしまうからかもしれない。

つまり、精神科学を理解するためにまず必要なのは、
「自分が知らないということを知らない」
ということを率直に受け入れることなのではないかと思われる。
もちろん、それは最高度に自分の認識力を用いるということでもある。
それには自分のなかに巌のようにそびえる思考方法の城壁を
内から突き崩していこうという勇気が必要になる。