シュタイナーノート121

ゴルゴタの秘儀とキリスト衝動


2006.1.10.

 あらゆる秘儀のなかで、ゴルゴタの秘儀が最も理解困難なものです。秘め
られた認識においてすでに前進している者にとっても、最も理解困難なもの
です。人間が関係を持ちうるあらゆる真理のなかで、ゴルゴタの秘儀は最も
誤解されやすいものです。
 これは、ゴルゴタの秘儀が地球の進化全体のなかで無比の出来事である、
という事実に関連します。ゴルゴタの秘儀は地上の人類の進化のなかで、強
力な衝動でした。その衝動は、同じ方法では以前に起こったことがなく、同
じ方法で繰り返されることもないでしょう。
(…)
 ゴルゴタの秘儀を成就し、死に対する生の勝利を達成するために、キリス
ト自身が地上に下らねばなりませんでした。地上でのみ経験・体験できるも
のを成し遂げるために、キリストは地上に下らねばなりませんでした。ゴル
ゴタの秘儀という行為の力が、物質的身体に受肉している人間に作用しなく
てはならなかったので、キリストは地上に下ったのです。
 ですから、キリストの力は最初、物質的身体に受肉している人間に作用し
ます。物質的身体のなかにゴルゴタの秘儀の力を受け取ると、人間が死の扉
を通過していったとき、キリスト衝動はさらに作用できます。人間は誕生か
ら死までの人生のなかでキリスト衝動を受け取った分だけ完成されます。
 受け取ったものの完成は、人間がふたたび地上に戻ってきたときになされ
ます。来世の地上生活においてのみ、人間はキリスト衝動のなかに生きるも
のを理解していけます。一度しか生きなかったら、人間はキリスト衝動を理
解できないでしょう。地球はゴルゴタの秘儀を理解し、体験するための場所
です。ですから、輪廻転生をとおして、この衝動が私たちを導かねばならな
いのです。
(シュタイナー『エーテル界へのキリストの出現』アルテ/P.114,78)

サウロ(後のパウロ)は、ユダヤの秘儀に精通していたが、
キリストが地上を生きたことがわからなかった。
しかも復活した、などということがあろうか、と。
それほどにゴルゴタの秘儀は理解困難なものだった。
秘儀に精通した者であっても困難なものが、
そうでない者に理解が容易なはずはない。
しかし、パウロは回心した。
その秘儀のほんとうの意味がパウロの全身を貫いたのだ。

秘儀参入者とは、ふつうの人間が未来において得る能力を
いちはやく獲得した者のことだ。
しかしゴルゴタの秘儀はそういう秘儀よりもずっと根源的な
いわば「型」のようなものとして、人間に作用する。
キリストが肉体をもって地上を生き、
死を克服して復活したということは、
すべての人間の将来において獲得しえる能力を
その秘儀において可能にしたということだ。

そしてその力は、死後霊界において獲得することはできない。
肉体をもって地上を生き、その衝動を得たものだけが可能になる。
逆にいえば、地上で生きているときにそれを受けなければ、
死後においてその力が作用することはできないのである。
その衝動を得るためにもう一度生まれ変わってこなければならない。
しかも、地上生において受け取った力は
その生において完成することはなく、
その次の生においてはじめて顕現することが可能になる。

地上でしか経験・体験できないこと。
もちろんそれは単に物質的・肉体的なこともあるのだが、
それが生と死を貫く能力として開花可能なものとして理解されるとき、
はじめて、この生を「苦」であるとするところから自由になることができる。
もちろん、死も苦しみなどではないことも。