シュタイナーノート115

芸術と精神(霊)


2005.9.19.

 

 
    人間は人智学的に深化すると、現代と未来の文明において、芸術を
   内的・根本的に活気づけます。人智学的な世界観をとおして、人間は
   精神(霊)と直接的な関係を持つようになります。そして、本当の芸
   術の発生のために、なくてはならない精神的(霊的)は力も獲得でき
   ます。
    さまざまな時代に、本当に人間的なものから芸術が作用したときに
   は、その力が存在していました。本当の芸術は、一方では認識のかた
   わら、他方では宗教のいとなみのかたわらに存在するものです。人間
   は認識をとおして、精神的(霊的)な思考・感情・意志に到ります。
   (…)
    ゲーテは、美しい言葉を述べました。
 
      学問と芸術を有する者は、
      すでに宗教も有している。
      学問と芸術をもたない者は、
      宗教を持つがよい。
 
    宗教的衝動を持たない芸術家はいない、というのです。ゲーテのな
   かには非常に深い宗教的衝動があったので、彼はありきたりの宗教家
   から嫌われます。彼は非常に誠実に、感覚的・物質的・地上的な形態
   を芸術的に清めることに努めました。その結果、物質的・地上的な形
   態が、神的・霊的なものの摸像のように見えます。
   (…)
    神々は人間を、無駄に作ったのではありません。人間のなかでのみ
   完成できるものを、神々はさらなる宇宙形成のために取り出すことが
   できます。そのために、人間は地上に存在しているのです。神々が人
   間を必要とするから、人間は地上に存在しているのです。
    宇宙に生きるものを、人間は思考し、感じ、意志します。人間が正
   しい方法で、宇宙に生きるものを思考し、感じ、意志するとき、それ
   を神々が受け取って、さらなる宇宙形成に植え付けます。
    神々が星々の世界から人間に開示したものを、人間が供犠と芸術を
   とおして天に返すとき、人間は宇宙全体の構築に参加します。人間の
   心魂がこの宇宙の経過を体験することによって、人間は宇宙の経過に
   関与するのです。
  (シュタイナー「古典主義とロマン主義」「詩の起源」
   『シュタイナーの美しい生活』西川隆範訳/風濤社 所収/P83-92,114-115)
 
「芸術」を、少なくともそういうものがあるということを
知らない人はいないだろうが、
「芸術」がいったい何なのかを
明確に言える人は少ないのではないか。
 
芸術ーart。
術とあるように、それはある種の技術を必要とするものだろうが、
単に技術であるならば、それでは科学技術とどう違うのか。
またたんにきれいなものを芸術と呼ぶのでもないだろうし、
最初から「芸術」というものを前提にして
その枠組みのなかでなされたことをすべて芸術と呼ぶ
というのも、よく考えてみればかなり安易なことではないだろうか。
「芸術作品」といわれても
とくに現代においてはそれがいったい何なのかがわからないような
そういう作品も数多くある。
 
多くの場合、芸術に限らず、それが何なのかを規定するのは、
それが社会的な枠組みのなかで
どういう位置づけとして、いわば「宣言」されるかによって
それはXであるとされる、ということが多いようである。
 
以上のことを少しだけ頭の隅っこに置いた上で、
さて、シュタイナーはなぜ「芸術」を重要視したのか、
教育を「教育芸術」というふうに呼んだのかということを考えてみると、
この地上においてなされる人間の営為を
宇宙過程に関連づけるものとして「芸術」をとらえているということがわかる。
 
「感覚的・物質的・地上的な」ものを
「神的・霊的なもの」に関連づけてとらえる。
「感覚的・物質的・地上的な」ものだけでは芸術にならないし、
「神的・霊的なもの」だけをもとめても芸術にはならない。
この地上における素材を使いながら
それに「神的・霊的なもの」を注ぎ込む。
だから、上記引用でシュタイナーがゲーテを引用しているように、
学問(科学)と芸術を持っている者は、
すでに宗教性のなかでの営為をなしているということになる。
 
教育が芸術であるというのも、
地上に受肉した人間を地上に根づかせるとともに
その本来が「神的・霊的なもの」であるということを踏まえながら
その両者の調和と進化を適切に導くということであり、
Erziehung引き出すという意味が教育であるように
その本来のものが展開できるように、つまり自己教育できるように
サポートするというのが教育芸術の最も重要な課題となる。
 
さて、「芸術」だが、
わたしたちのまわりにあるすべてのものを
みずからの存在をも含めて
それら「感覚的・物質的・地上的な」ものを
いかに「神的・霊的なもの」に関連させ得ることができるか。
「天に返す」ことができるか。
そのように自分が「宇宙全体の構築に参加」することのできる可能性
というのはなかなか素晴らしいビジョンであると思っている。
 
私たちは宇宙過程を壮大に呼吸している存在であり、
その可能性を確かなものにするために
「芸術」を有しているととらえるとき、
これまでなんとなくそんなものだというふうにとらえていた
「芸術」という営為が、
姿をかえて見えてくるのではないだろうか。
もちろん、そこには光だけではなく闇もあり、
その交錯のなかで宇宙は展開していく。
そしてそのときに、学問(科学)も芸術も宗教も本来は
三位一体のものであるということも実感されてくるはずである。

 

 

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