シュタイナーノート113

心魂の力を強くするという現代生活の課題


2005.9.17.

 

 
 私たちが現代の技術を形作るときに何が起こるのか、まったく外的 に受け取って
みましょう。そこで行われるのは、二段階の作業にほかなりません。
 第一段階は、私たちが自然の関連を破壊することです。私たちは採 石場を砕き、
そこから石を採ります。私たちは森を荒らして、木材を伐採します。 自然を破壊し、
ぼろぼろにして、素材を得るのです。第二段階は、そのようにして自 然から取り出
したものを、「自然法則」と認識したものに従って組み合わせ、機械 を作ることで
す。ものごとを外的に考察すると、この二つの段階が明らかになります。
 しかし、内的に考察すると、どうでしょう。内的に考察すると、 「私たちが自然
をこなごなにするとき、鉱物のなかにいる元素霊は快感を感じる」と いうことにな
ります。(…)
 あらゆる自然存在のなかに元素霊存在がいます。私たちは自然をこ なごなにする
ことによって、神々の領域のなかへと、自然霊たちを押し出します。 これは実際、
第一段階に絶えず結び付いていることです。私たちは物質的な自然を こなごなに砕
き、この自然から自然霊たちを解放します。ヤハウェ神たちによって 指示された領
域から、自由に飛び回れる王国へと自然霊たちを追い出します。自然 霊たちは、も
はや指示された住処に縛られなくなります。(…)
 第二段階で私たちは、自然から引き出したものを、自然法則によっ て結合します。
私たちが知った自然法則に従って素材から機械を作るとき、私たちは 霊的存在たち
を再び、私たちが作る物のなかに入れるのです。
 私たちが作る物は、霊なきものではありません。私たちは物を作る ことによって、
霊的存在たちの寝床を作るのです。私たちが機械のなかに押し込む霊 的存在たちは、
アーリマン的な霊たちに属する存在です。
 つまり第一段階で、進化の途上にある自然霊たちに私たちは出会 い、追い出しま
す。第二段階で私たちは、アーリマン的な霊たちを、私たちが作る機 械・工業製品
に結びつけます。私たちは工業的な環境のなかに生きていることによ って、夜にし
ろ昼にしろ、私たちのなかで眠っているものをアーリマンに取り囲ま せていること
になります。
(…)
「現代生活のなかへ技術がもたらしたものに反抗しなければならな い」と言うのは、
最も誤ったことです。「アーリマンに警戒しなければならない。現代 生活から引退
しなければならない」と言うのは、最も間違ったことです。それは、 ある意味で、
精神的な臆病を意味します。
 心魂を弱めたり、現代の生活から隠遁するのではなく、心魂の力を 強くして、現
代生活に耐えられるようにするというのが、本当の救済手段です。現 代の生活に対
する勇敢な行為が、世界のカルマによって必要とされるものです。で すから本当の
精神科学は、前もって、多かれ少なかれ集中的な努力を人間の心魂に 要求します。
(シュタイナー「現代文明と美的生活」
 『シュタイナーの美しい生活』西川隆範訳/風濤社 所収/P24-29)
 
「自然を守れ」「自然に帰れ」ということが語られたりする。
しかしその場合、多くはその「自然」への理解が深くなされてはいない。
「自然」を形成しているともいえる自然霊たちは、
むしろ破壊されることで解放されることになる。
 
もちろん、自然霊を解放するために自然を破壊せよ!ということではない。
「自分がいま何をしているのかを知る必要がある」ということである。
そしてその上で「自分がいま何をする必要があるのかを知る」ということ。
 
シュタイナーの生きていた時代に比べ、
私たちはますますアーリマンに囲まれていきている。
自然霊はますます追い出され、
そして夥しいアーリマン的な霊を招き寄せている。
 
そもそも、文字というものそのものがアーリマン的なものであり、
そのアーリマン的なものによって書物がつくられる。
あるネイティブ・アメリカンもいうように
書物に書かれている文字というのは「魔物」に他ならないのだ。
もちろん、こうして電子的に記されている文字・記号等は
ある意味でひどく恐ろしい怪物にもたとえらえるだろうか。
 
そもそも私たちが、見たり聞いたりする知覚作用そのものが
ルシファーによってつくりあげられているマーヤなのだ。
そのマーヤのなかで、私たちはアーリマン的な霊に翻弄されている。
 
しかし、だからといって「悪魔から逃げよ!」というのは
なぜ現代にこうして生きているかという問いから逃げることになってしまう。
重要なのは、「現代の生活から隠遁するのではなく、心魂の力を強く」するこ となのだ。
そういう意味で、「癒し」の流行というのは、
(ある部分、救済手段であるところはあるものの)逃避でしかない。
精神科学の課題は、まさに「心魂の力を強く」することにほかならない。
 
「アーリマン的な霊」はともすればその課題とは逆に
私たちの心魂を脆弱になものにしてしまうことが多い。
「多かれ少なかれ集中的な努力」が必要な心魂を
たんなる利便性や快楽、そして癒しによって弱めつづけている。
だからこそ、そのことをしっかりと認識しておく必要があるのだ。
 
シュタイナーの修行論の基本のひとつは
仏教における八正道の精神科学版のようなものである。
「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」に従えばその8つは次のよう なものである。
 
1.表象/意識内容を獲得するにあたって注意深く意識的な態度でのぞむこと
2.すべてに対してよく考え抜き、十分な根拠がない場合には思いとどまること
3.熟慮した上で十分な根拠をもって発言する
4.隣人の行動や周囲の出来事と調和的であり得るようによく考えて行動する
5.心身ともに健康な生活を営む
6.自己認識の上に立って自らの使命と義務を果たすよう行動する
7.人生からできるだけ多くを学ぼうと努力する
8.おりにふれて自分の内面に目を向け自己を吟味する
 
 

 ■シュタイナー研究室に戻る

 ■神秘学遊戯団ホームページに戻る