シュタイナーノート 96

精神生活における自由への道


2004.3.13

         正しい教育を根づかせることによって人間の中の「子ども」を死に
        至るまで保持するようにギリシャ人が気を使った結果、偉大なギリシャ
        文明とギリシャ文化が生じたのであります。もしこの偉大さに驚嘆致し
        ますならば、私達は。私達がこのような理想を真似ることができるだろ
        うかと自問してみなければなりません。しかしこれは私達にはできない
        のであります。と申しますのは、その理想は三つの前提条件の上に立っ
        ており、これらの存在を抜きにしては到底考えられないからであります。
        (…)
         第一の前提条件は、この教育の格率は少数の人間、つまり、上層階級
        にしか適用されず、奴隷制を前提としていたということであります。
        (…)
         第二の前提条件は、ギリシャの社会生活における女性の地位でありま
        す。女性はギリシャ文化を基本的に形成したいた諸活動からは身を引い
        て生活をしていたのであります。子どもが七歳に至るまで純粋な本能を
        家庭において保つことができた、自然のままでいることができたのは、
        まさにこの社会から身を引いた生活によるものであったのであります。
        (…)
         第三の前提条件は・・・私達の精神生活は私達自身の努力によって獲
        得されなければならない、ということであります。・・・現代におきま
        しては、人間は最も深い知恵を内蔵していた啓示(これは人間が努力し
        なくとも自然に与えられていたのであります)を失ってしまいましたが
        ゆえに、人間は新しい時代に即応した精神生活を、自らの存在を基盤と
        して獲得しなければならないのであります。
        (シュタイナー『現代の教育はどうあるべきか』人智学出版社/P69-72)
 
この「三つの前提条件」は、まさに現代という時代のもつ
基本的な問題を如実に表わしているといえる。
そしてそれはまさに「自由の哲学」の基本のところに深く関係している。
 
人間は、生まれながらにして自由であるのではなく、
それは獲得されなければならないという
「神秘主義と現代の世界観」にあるシュタイナーの示唆も
この三つの前提条件の克服を必要とするものである。
 
天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、
という有名なことばをのこしている福沢諭吉は
子どもは小さな頃は犬ころのように過ごすのがいい、
というふうに述べていることを思い出したが、
福沢諭吉もこのこの三つの前提条件の克服ということを
意識的かどうかはわからないが、認識していたのかもしれない。
 
現代という時代が困難なのは、
かつては一部の特権的な形での高みが求められていたものが
裾野のレベルにおいても求められる必要のある時代に
なってきているということだろう。
どんな生まれであれ、男であれ女であれ、
「私達の精神生活は私達自身の努力によって
獲得されなければならない」のである。
 
しかしやはり自由は放縦にすり替えられ、
「私達自身の努力によって獲得されなければならない」ものは
あまり顧みられないままに、
さまざまなものがマス的に画一化した価値観のかたちで
与えられてしまうことになるのだが、
重要なのは、可能性に向かって開かれているということなのだろう。
世界市民だとかグローバリズムだとかいうことにしても、
経済や文化における画一的な価値観ではなく、
そうした「自由の哲学」的な観点において求められるときに
はじめて多様性のなかでの「個」が
「精神」として顕現してくるのではないだろうか。
 
シュタイナーの教育における示唆は
子どもがいずれ自らの精神生活を自らの努力によって獲得していけるよう
方向づけるということでもあったように思える。
ヴァルドルフ学校はタバコ工場の労働者の子どもたちの教育から始まった。
決して特権的な階級や男性だけのための教育ではなかったのである。
どんな生まれであれ、男であれ女であれ、
自己教育によってみずからの自由な精神を形成してける可能性が
その主題なのである。
 
 

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