シュタイナーノート 94

呼吸法の問題について


2004.2.19

ダスカロスの「エソテリック・プラクティス」(ナチュラルスピリット)に
東方的な呼吸法は欧米人の心身を害する恐れがあり、
呼吸法によって性急が刺激を与えてしまうと、
神経系統に機能障害をもたらすおそれがあると書かれてあり、
「パターンド・ブリージング」という
心臓の鼓動にあわせたシンプルで規則正しい呼吸法を推奨している。
 
呼吸法による性急な刺激というと、トランスパーソナル心理学関連の
スタニスラフ・グロフによるホロトロピック・ブリージングが浮かぶが、
それはLSDの代わりに開発された技法であって、
ダスカロスの指摘が正しければ、
そういうワークは甚大な障害のもととなるおそれがあるだろうし、
そうした方法によっては認識を深めるのではなく、
むしろ歪めてしまうことになりかねないのかもしれない。
 
シュタイナーも、ヨガの修行で用いられるような
呼吸法を「私達現代人」は、模倣してはならないと言っている。
ヨガ行者は呼吸過程と思索過程が結びついていることを感じ、
そこで霊的な認識を得ようとしたのだけれど、
「私達現代人」はそうした「内部に向かって呼吸過程に従って進んで行く」
という方向ではなく、「外界に向かって進」まなければならないのだという。
「外界に向かって進」むというのは、
「 一本一本の植物を眺め、一つ一つの動物を眺め、
一人一人の人間を眺め、そして外界を共に生き」、
「事物の中へ入りこんで行」く、ということである。
 
『教育の根底を支える精神的心意的な諸力』(人智学出版社)から
重要なところなので、それについて述べられているところを、
少し長めになるが、引いてみることにする。
 
        私達の肉体構成は、太古のそれと違っておりますので、私達は今日、
        このヨガの修行を模倣することはもはや出来ませんし、またそれを
        してはならないのであります。それはなぜかと申しますと、一体何
        をヨガ道者は目的としていたかを考えてみましょう。彼が目指した
        のは、自分の思索過程がどのように呼吸過程と結びついているかを、
        感じることでありました。そしてこの呼吸過程の中に、自分が人間
        であるゆえんを感じ取ることでありました。こうして彼は、これを
        認識にまで高めたのでありました。
        (中略)
        霊の世界へ入る道を見つけるためには、ヨガ呼吸法を修める方が、
        今日では手軽なのであります。少なくとも手軽なように見えるので
        あります。これはしかなしながら、現代の人間が、霊的な世界へ入
        っていくべき道ではありません。今日の人間は、まず始めに徹底し
        た知性主義の中で、単に像として非実体的に知覚され得るすべての
        ものを、体験し尽くさねばなりません。現代の人間は「私が思索し、
        実験やその他の観察において、ただ単に知的に作業しているかぎり、
        私は、無の中に、すなわち単なる像の中に生きているにすぎないの
        だ。私は実在から遠ざかってしまった。」と自らに言わざるを得な
        いその苦しみを、一度すっかり通り抜けてしまわねばならないので
        あります。
        (中略)
        ヨガ道は、自分の人間を呼吸の中に求めました。私達現代の人間は、
        思索という映像、すなわち知性主義的なるものに相対して感じる失
        神状態の中に、私達の人間を見失わなければなりません。そしてそ
        の後に自らに、こう言うことができなければならないのです。「今
        や我々は、ヨガ道者が進んだように、内部に向かって呼吸過程に従
        って進んで行くのではない。今や我々は、外界に向かって進むのだ。
        一本一本の植物を眺め、一つ一つの動物を眺め、一人一人の人間を
        眺め、そして外界を共に生きるのだ。」
        (中略)
        このように私達は事物の中へ入りこんで行かなければなりません。
        ヨガ道者が自己の内部へ入りこんで行ったように、私達は外に出て
        行き、すべての事物と自分とをこのように結びつけるよう試みます。
        そして、そうすることによって事実上ヨガ道者と同じ所に達するの
        でありますが、ただ彼等よりもより一層心的に、より一層霊的にこ
        れを得るのであります。私達が私達の持っている概念や理念、すな
        わち単なる知性が描き出すものの一切を、実体をもって浸しきった
        とき、私達は再び、いかに霊性が私達の内部で創造的に活動してい
        るかを、感じ取るのであります。
        (P44-48)
 
ここで気になるのは、「私達現代人」というのはいったい誰かということである。
もちろんシュタイナーが講演していた頃の西欧人が「私達現代人」なのだが、
そこには、われわれ日本人がどこまで含まれているのだろう。
わたしたちはすでにヨガ行者のような東洋人ではないだろうが、
まったくの西欧人ではおそらくはない。
肉体やエーテル体、アストラル体等の進化状態が
ある程度異なっていることも想定する必要があるのかもしれない。
そのことをふまえながら、上記のように
シュタイナーが示唆していることを
「私達現代人」の問題として重要視する必要があるように思われる。
 
ちょうどこうした呼吸法のことを考えていたところ
井上ウィマラ『呼吸を感じるエクササイズ』
(岩波アクティブ新書98/2004.1.7発行)を見つけ、
呼吸についての気づきと理解を深めるための
わかりやすいさまざまな示唆を得ることができた。
これは単なるヨガ道者の修行というのではなく、
呼吸を通じてみずからを感じ、
世界へ向かって開いていくためのエクササイズになっている。
少なくとも危険な方向性ではなさそうだし、
ある程度必要な部分でもありそうである。
 
しかしおそらく「私達現代人」にとっては
こうした呼吸による自分と世界への「開け」だけではなく、
シュタイナーが示唆しているような
「一本一本の植物を眺め、一つ一つの動物を眺め、一人一人の人間を眺め、
そして外界を共に生き」、「事物の中へ入りこんで行」くような
そうした方向性をも持つ必要があるのではないかという気がしている。
そのためには、ゲーテ的な自然認識も
さまざまな示唆を与えてくれるのではないだろうか。
 
シュタイナーがとくに晩年において
農業や医学などについて行なっているさまざまな示唆も
こうした「事物の中へ入りこんで行」くような在り方について
ほんとうに豊かなヒントを与えてくれている。
そういう方向性を持たなければ、「私達現代人」は、
先に進むことができないのかもしれない。
少なくともかつて正しかったであろうヨガ行者のような方向性は
すでにそのまま受け容れることができないということは
考慮しておく必要があるのではないかと思われる。
 

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