シュタイナーノート 85

大地の力と天の力のめぐり


2003.4.30

鮭はなぜ産卵のために川を遡ってくるのだろう。
渡り鳥はなぜ渡ってきて再び帰ってくるのだろうか。
なぜそうしなければならないのか。
同じところにいたほうがずっと効率がいいだろうに。
わざわざ大きなリスクをおかして海と川を、空をめぐってくる。
 
ずっと疑問だったのだけれど、
次の引用にあるようなシュタイナーの説明で、
やっとなるほどと思うことができた。
大地の力と天の力をめぐることで生きている存在がいる!
 
         地球は海を通して宇宙を見るのではありません。海は塩を含んでいるからです。
        人間の胃と同じく、海は内的なものです。甘い水の湧き出る泉は、宇宙に開かれて
        います。泉は、外に開かれた私たちの目のようなものです。
         泉のある陸地で、地球は宇宙を見上げます。そこが地球の感覚器官です。それに
        対して、地球の身体、地球の内蔵は、塩を含んだ海にあります。
         (…)
         鮭は奇妙な体を持っています。鮭は筋肉を得るためには、海に生きねばなりませ
        ん。筋肉を付けるために、鮭は地球の力を必要とします。その力とは、おもに海の
        塩です。…
         しかし鮭は、海のなかに生きていると繁殖できません。海水によって、宇宙から
        完全に遮断されているからです。…北海や太平洋で見られるように、鮭は絶滅しな
        いために、毎年ライン川を上ります。…
         塩水と淡水でどんな区別があるかを、鮭は示します。塩は塩水のなかに行って太
        り、地球の力を受け取ります。そして、繁殖できるように、淡水のなかに行って、
        宇宙の力を得ます。
         (…)
         渡り鳥は空中を巡ります。鮭は水中を行ったり、来たりします。水中を往来する
        鮭は、ちょうど空中を巡る渡り鳥のようなものです。鮭は塩水と淡水のあいだを行
        き来します。鳥は空気中を飛び、必要に応じて、寒いところと暖かいところを行き
        来します。鮭の行き来を理解する者は、渡り鳥についてイメージできます。
         そして、「すべてが関連している。鳥は暖かい大地の力を得るために、南に移ら
        ねばならない。そこで、鳥は筋肉を形成する。天の力を得るために、鳥は北の澄ん
        だ空気へと行かねばならない。そこで、鳥は生殖器官を形成する」と、言うことが
        できます。この動物は、地球全体を必要とします。高等動物・哺乳類、そして人間
        は地球から独立しており、地球から解放されています。
         しかし、そう見えるだけです。人間というのは、常に「二つの人間」です。私た
        ちは、もっと「多重な人間」でもあります。物質的人間・エーテル的人間などです。
        しかし、物質的人間において、私たちはすでに二つの人間です。右半身と左半身で
        す。
        (シュタイナー「水の流れと宇宙」
         シュタイナー「人体と宇宙のリズム」風濤社より/116-122)
 
先日、NHKテレビで72年に1度行なわれるという
茨城県の金砂神社大祭礼についての番組があった。
この大祭礼は、金砂郷町の西金砂神社と水府村の東金砂神社の御輿が
大行列を組んで80kmほどの道のりを日立市の水木浜に神幸する磯出祭りで、
前回(第16回)は昭和6年に行われたという。
 
興味深かったのは、日立市の水木浜から上陸した神が、
はるか山の上の金砂山に祀られていて、
それが72年に一度、上陸した浜までやってきて帰っていく、ということ。
まさに、天の力に近いところにいる神々が、
はるばる浜にまでやってきて大地の力を得る。
そのめぐりが「型」として大祭礼になっているように思えた。
 
しかも72年に1度というのが興味深い。
シュタイナーが「宇宙と人間のリズム」(同じくシュタイナー「人体と宇宙のリズム」所収)
でも述べているように、人間が通常生きる72年は25920日で、
(地球が昼と夜を通過する=呼吸する回数ということもできます)
これは人間が一日で呼吸する回数と同じ。
 
その宇宙と人間のリズムに呼応するように
72年に一度、山上と海浜を往還する大祭礼。
 
人間は、「地球から解放」されていて、
地球上の特定の場所でしか生きられないということはなくなってはいるものの、
内的には、大地の力と天の力を左半身と右半身というかたちでもっていて、
そのリズムのなかで生きているのだし、
私たちの自然環境もまた大地の力と天の力のリズムにおいて
その調和を保っているということができるので、
そのリズムを私たち人間がどれだけ認識できているかが
私たちの生きていることそのものに深く関わってくる。
その叡智を儀式化しているのが祭礼でもあるのかもしれない。
御神体を担ぎ出して逍遙し再び還っていくめぐりのプロセス。
 
さて、最初の渡り鳥の話。
季節は今、冬鳥が帰っていき、夏鳥がやってきはじめる季節。
その鳥たちの大地の力と天の力とのリズムを思いながら、
海辺で、そして森で、町で、鳥たちの観察をしてみるのは興味深い。
今町を飛び回り始めている燕たちもまた渡り鳥。
燕たちは燕たちのリズムで大地の力と天の力とをめぐっているのである。
そうしたことを意識して見てみようとするだけでも、
世界はずいぶんと不思議でいっぱいに見えてこないだろうか。
こうした精神科学的な視点の豊かさがこうしたことにも見えてくれば、
シュタイナー受容のありかたも変わってくるのではないかと思うのだけれど…。
 
 

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