シュタイナーノート 75

唯物主義から薔薇十字主義へ


2002.1.8

        医学が唯物主義の道を突っ走ったとしましょう。40年先をご覧になれれば、
        皆さんはその医学の治療法の野蛮さと、医科学が人間存在を治癒しようとす
        るのに用いる死の諸形態に、慄然となさるでしょう。今日の医科学はどのよ
        うにしてその治療法の効果を検査しているでしょうか。病院などに見いだせ
        る人間素材を使ってです。つまり外的観察によってその効果を確かめている
        のです。しかし、霊的叡知は、その本質そのものによって、霊性の内的関連
        に参入し、物質界の何が霊性の何に対応するか知っております。完全に新し
        い全医学の創造がいわゆる薔薇十字主義から発するでしょう。…
        私たちの現在の存在状況の複雑さを古代カルデアの状況と比較して見て下さ
        い。東京で現金化できる小切手をニューヨークで発行出来るようにするのに
        どれほど莫大な知的エネルギーと何たる複雑な共同作業が必要であるか、考
        えて見て下さい。地球全体に広まったこうした物質文化の特徴を持つ時代は、
        かつての時代とは異なる霊的活動方法を必要としているのです。オカルティ
        ストはこれに気付いています。現代の思考は、人がこれほど深く巻き込まれ
        てしまった外的状況と使命の混沌とした有り様を、うまく処理することも出
        来なければ操作することも出来ないのです。やがて思考自体も硬直して来る
        でしょう。今日私たちは変遷の時代に生きておりますが、思考はやがて複雑
        な生の状況に取り組みそれを変容させるに十分な柔軟性をもはや持たぬよう
        になるでしょう。
        (シュタイナー『薔薇十字の秘教』第1講義/1909年7月3日 ブダペスト
         http://members.aol.com/satoky/rosicrucian1.html)
 
この講義が行なわれたのが1909年のことだから
現代はその「40年先」どころではなく、100年近く先になる。
そして、現代の医学は、「死」をめぐり、かぎりなくアーリマン化している。
「死」を問うにあたり、それを肉体の「死」に限定してとらえることで、
延命としての治療を際限なくくりかえし、臓器移植さえ正当化することになった。
臓器調達のため?「死」を脳死として定義付けることになり、
人間から臓器がとれないならと、今度はそのために豚さえ活用しようとしている。
 
以前、NHKテレビの課外授業で、遺伝子組み替えに関連したテーマがあったが、
参加した小学生の多くが、遺伝子組み替えを使って延命することに対して
かなりの数のNO!があったのを見て、ほっとした気持ちになったことがある。
 
臓器移植をする医者、遺伝子組み替えを行なう科学者は
どれほどそれらのことを深くとらえているといえるのだろうか。
シュタイナーのこの講義は『薔薇十字』をめぐるもので、
なぜ人智学が現代において必要なのかということを考えていく際の
重要な視点を提供してくれている。
まさに、「地球全体に広まったこうした物質文化の特徴を持つ時代は、
かつての時代とは異なる霊的活動方法を必要としている」ということであり、
確実に暴走を続けているアーリマン化している科学を
新たな衝動のもとに導いていくための精神科学が
必要とされているということである。
 
この引用では、面白いことに
「東京で現金化できる小切手をニューヨークで発行出来るようにする」
というように日本が登場したりもしているが
(ここで東京がでているのは、
隈本有尚のことを念頭においているのかもしれない)
科学によって便利になっているさまざまなことの背後にある、というか
それらが成立するにあたって背後で働いているさまざまなことに対し、
私たちはあまりに鈍感になりすぎているのではないだろうか。
それらを自分なりにとらえようとしても、
もはやどのようにとらえていいか、思考が麻痺してしまったまま、
それらをルーティーンに受け取るしかないような状態に
陥ってしまっているように思える。
 
シュタイナーがむずかしいとよく言われるのは、
そうしたルーティーン化され麻痺した思考が
再び生きたものになろうとするときの苦しみなのかもしれない。
しかしその困難さを通っていかなければ、
私たちはますます思考を硬化させ続け、
ますますロボット化し、自由を失い続けていくしかないのではないか。
それを象徴しているのが、病室でさまざまな管につながれ
延命治療を続けていくしかないような状態や
臓器を移植されてさえ延命しようとするのに
疑いさえ抱かないようなあり方なのだろう。 
 
 

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