シュタイナーノート 73

宇宙的キリストの啓示


2001.12.23

佐藤公俊さんのHPに、シュタイナーの「十三夜」という講義に続いて、
1921年12月26日に行なわれた講義『宇宙的キリストの啓示』
の翻訳が掲載されました。
クリスマスを真に祝するためにと思い、
この講義からも、その一部をご紹介させていただきます。
 
冬至が過ぎ、クリスマスを目前にして、
今年は例年にはないようなかたちで、
今、生と死についてのさまざまな思いのなかで過ごすことになっています。
 
「神から私たちは生まれる」
「キリストにおいて私たちは死ぬ」
「聖霊を通して私たちは再び目覚めさせられるだろう。」
 
その言葉をみずからのなかに音楽のように響かせながら、
新たなキリスト衝動のために、メリー・クリスマス!
 
	古き時代に、人々は、自分が神的霊的諸世界に生きていた、誕生を通して物質的
	存在の中に降下したと知っていました。純粋に霊的環境において彼らの周りにあ
	った諸力が今は血と結合している、血の中で生き続けていると、彼らは感じてい
	ました。そしてこの洞察から、次の概念が生まれました。神から私たちは生まれ
	る。血の中で生きる神、肉の人がこの地上で表象するところの神、それは父なる
	神です。
	 生のもう一方の極−すなわち、死−は、魂の生の異なる衝動を要求します。人間
	存在には、死で尽き果てることのない何かがあるはずなのです。これに照応する
	概念が、地球的そして物理的なものから超感覚的そして超物理的なものへと導く
	あの神の概念です。それはゴルゴタの秘跡と関連する神です。神的父の原理は必
	ず、超感覚的なものから物質的なものへの移行と関連しています。まさしくそう
	です。そして神的子を通して感覚的そして物質的なものから超感覚的なものへの
	移行が生じます。だから、復活の思念は、本質的にゴルゴタの秘跡と結び付いて
	いるのです。「キリストは、彼が復活したものであるからこそ、人間性にとって、
	そうであるところのものだ」という聖パウロの言葉−この言葉はキリスト教の根
	幹部分であります。
	世紀が経過するうちに、復活したもの、死の征服者の理解は徐々に失われて、近
	代神学は全面的にナザレの人イエスにかかわっています。しかし、ナザレのイエ
	ス、この人を、父原理と同じレベルにおくことはできません。ナザレのイエスは
	父の使者と見なすことができるかも知れませんが、初期キリスト教の議論にした
	がえば、父なる神に並ぶものとすることはできません。共に平等であり、共に存
	在するのは、神的父と神的子であります。すなわち、父は、超感覚から物質への
	 移行を引き起こします。−「神から私たちは生まれる」−子は、物質から超感覚
	への移行を引き起こします。−「キリストにおいて私たちは死ぬ」 誕生と死を
	超越して、神的父と神的子から発する、そして両者と共に等しい第3の原理があ
	ります。すなわち、霊です。聖霊です。それゆえに、人の存在の内に、私たちは、
	 超感覚から物質への移行と物質から超感覚への移行を見なければなりません。誕
	生も死も知らない原理であるもの、それは、私たちがその中へと目覚めさせられ
	る霊であり、それを通して目覚めさせられるところの霊であります。「聖霊を通
	して私たちは再び目覚めさせられるだろう。」
	(…)
	 …12月24日から25日に至る真夜中に、真夜中のミサがすべてのキリスト教
	教会で唱えられることになっているという事実から、私たちは何かを読み取るこ
	とができます。ミサが多かれ少なかれ秘儀参入に至る、真夜中に太陽を見ること
	に至る密儀の祭式儀式の統合であると知るとき、私たちはこの事実から何かを読
	み取ることができます。クリスマスの真夜中のミサのこの制度は、候補者が、真
	夜中時に、地球の向う側に太陽を見る、それとともにこの宇宙を霊的宇宙として
	眺められるようになる秘儀参入の反映なのです。そして、これと同時に、「宇宙
	的言葉」が宇宙全体に鳴り響きました。その宇宙的言葉は、星々の運行と位置関
	係から、世界存在の神秘を鳴り響かせて生み出しました。
	血は人間存在を相互に不和にします。血は、人において、天の高みから降りたあ
	の要素を地球的な物質的なものに縛り付けます。この20世紀に、特に、人々は
	キリスト教の本質に反する大きな罪を犯してきました。再び血の原理に頼り始め
	る限り、そうです。しかし、人々は、キリスト・イエスであった存在、血に自ら
	を働きかけず、自らの血を注ぎ出し、自らの血を地球に与えたあの存在への道を
	見いださねばなりません。キリスト・イエスは魂と霊に語りかける存在です。彼
	は結び付ける存在です。分離する存在ではありません。宇宙的言葉の理解から、
	平和が地上の人々の間に生まれるように、です。クリスマスの祭の新たな理解に
	よって、超感覚的知識は、物質的宇宙を魂の目の前で霊性に変容することができ
	ます。真夜中の太陽が見えるようになり、その霊的性質において知られるように、
	物質宇宙を変容することができます。こういう知識は、地球を越えるキリスト存
	在、ナザレの人イエスと結び付いた太陽存在の理解をもたらします。それはまた、
	地球の諸民族の頭上に舞うべき「統合する平和」の理解をもたらします。神的存
	在たちは、高みに啓示されます。そして、この啓示を通して、平和が善き意志の
	人々の心から鳴り響きます。
	これがクリスマスの言葉です。地上の平和が流れ込み、地球へと流れ落ちる神的
	光とのユニゾンになります。私たちには、イエスの誕生の日の単なる思い出以上
	の何かが必要です。私たちは、新たなクリスマスの祭が生まれるべきだ、誕生の
	新たな祭が現在からこの先未来にまで続かねばならないということを、理解し実
	感する必要があります。新たなキリスト衝動が生まれねばなりません。キリスト
	の性質の新たな理解が生まれねばなりません。私たちは、神的霊的諸天と地球の
	物理世界は相互に連結しているということ、ゴルゴタの秘跡はこの結合の最も意
	義深い証であるという真理の、新たな理解を必要としています。私たちはまた、
	クリスマスの真夜中時に警告が私たちに鳴り響き、私たちに、人の神的霊的起源
	に心せよ、諸天の啓示は地上の平和と不可分であるという事実に心せよ、と告げ
	ています。聖夜は実在にならねばなりません。古代の習慣慣例にしたがって、ク
	リスマスに贈り物の交換をするのでは充分ではありません。何世紀もクリスマス
	祭の頃の人々に霊感を吹き込んでいたあの暖かい感情はなくなってしまいました。
	私たちは新たなクリスマスを必要としています。新たな聖夜を必要としています。
	私たちにナザレのイエスの誕生ばかりか、新たな誕生をもたらす、新たなキリス
	ト衝動の誕生をもたらすものが必要です。全き意識から私たちは、ゴルゴタの秘
	跡には超感覚的力が開示された、物質的地球に啓示されたということを理解でき
	るようにならねばなりません。私たちは全き意識で、いにしえの密儀で本能的に
	鳴り響いていたものを理解しなければなりません。私たちはこの衝動を意識的に
	受け取らねばなりません。また、クリスマスの聖夜が人に実在のものとなるとき、
	人は諸天の啓示と地上の平和の間に素晴らしい真夜中の結合を経験できるとい
	うことを理解できるようにならねばなりません。
	(ルドルフ・シュタイナー『宇宙的キリストの啓示』
	1921年12月26日バーゼル/佐藤公俊訳)
 
 

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