佐藤公俊さんのHPに、1911年12月26日に行なわれた シュタイナーの「十三夜」という講義の翻訳が掲載されました。 クリスマスを前にして、その一部をご紹介させていただきます。 キリストの生誕、つまりナザレのイエスの体にキリスト霊が降下したのは ほんとうは1月6日であるにもかかわらず、 なぜ12月24日・25日が祝われるようになったのか。 ダムとイブに捧げられた日である12月24日と1月6日のあいだの 13日と13夜の意味、その「深い霊的経験の時」について。 ルシファーの影響があるために、 霊界で人が経験しなければならないカマロカの苦悩、 そして、ヨルダン川でのヨハネの洗礼の重要な意義について。 日本では、新年への時を刻むあいだに、 お寺で108つの煩悩を落とすべく除夜の鐘をついたりしますが、 ひょっとしたらそのことも、その13夜に関係しているのかもしれませんね。 もちろんその108つの煩悩は生きている私たちに働いている ルシファーの影響をひとつひとつ数えながら それを浄化していくものなのでしょうけど、 それは私たちが死後体験するカマロカを 今先取りしようとする行為でもあるのではないでしょうか。 ゴルゴタの秘跡に関係する深い英知を幾分なりと理解している人々にとって 至高の祝典の日は、1月6日でした。公現祭[顕現日]が紀元後3世紀の間、 キリストの生誕祭のようなものとしてお祝いされていました。それは、ヨハネ の洗礼においてナザレのイエスの体にキリスト霊が降下した思い出を、人の魂 の中で蘇らせる意味を持つ祭でした。紀元353年まで、人々が洗礼で生じた と思っていた事件はキリスト誕生の祭として1月6日にお祝いされていました。 キリスト世界の最初の数世紀の間、すべての神秘の中で人類にとって最も把握 するのが困難な神秘、すなわち、ナザレのイエスの体の中へのキリスト存在の 降下の神秘を感知することがまだ残っていました。 しかし、この深い神秘への洞察は、たとえあいまいで不確実なものであった にしろ、洞察といえるものは、時がたつにつれて、ぼやけて消えていきました。 キリストと呼ばれる存在がたった3年だけ物理的人間の体で存在したというこ とを人々がもはや理解できなくなった時代が来ました。人の肉体におけるこの 3年の間に地球進化の総体のために成就されたことの理解は最も難しく最も深 い神秘のひとつであると、これからはますます実感されることでしょう。4世 紀以降、唯物主義の時代の接近とともに、人間の魂の力は−当時まだ準備段階 にあったため−私たちの時代以降ますます理解されるであろうこの深い神秘を 把握できるほど強くありませんでした。こうして、キリスト教の外的力が増す とその増したぶんだけ、キリスト神秘の内的理解が減り、1月6日の祭日が本 質的な意味を持たなくなるようになりました。キリストの生誕は13日早くに されて、ナザレのイエスの生誕と一致するものと見られるようになりました。 ところがまさにこの事実において、私たちはたえず霊感と感謝の源泉であるは ずの何かと対峙させられているのです。実際、偉大な真理が失われたために、 12月24日25日はキリストの生誕日として固定されました。 (…)カレンダーで言うと、12月24日はアダムとイブに捧げられた日です。 その次の日がキリスト生誕祭です。かくして古代の真理の喪失はキリスト誕生 の日付けを13日はやくし、ナザレのイエスの誕生と同定しましたが、まさに このために、非常に素晴らしい方法で、ナザレのイエスの誕生が、地球進化に おける人の起源の思考と結び付いたのでした。アダムとイブにおける起源です。 イエスの誕生のこの祭と関連して、人間の魂で生きていた曖昧な感情と経験の すべてが−もちろん顕在した意識で人々は背後にあるものについて何も知らな かったのですが−魂の深みで動いていたこれらの感情のすべてが、素晴らしい 言葉を話したのでした。 (…) キリストの誕生の祭日が13日はやくなり、イエスの誕生の祭になったのは、 いったいなぜなのでしょうか。(…)すべての植物の種子に含まれる力が大地 の物理的諸力と結び付いているように、人間の魂の最奥の存在は大地の霊的諸 力と結び付いています。植物の種子がクリスマスとして私たちが知っている時 期に大地の深みに沈んでいくように、そのとき人の魂も深い深い霊の領域に降 下して、植物の種子が春の開花の力を引き出すように、こうした深みから力を 引き出します。魂が大地のこうした霊の深みで経験することは通常の意識から 完全に隠されています。しかし霊の目の開けた者にとって、12月24日と 1月6日の間の13日と13夜は深い霊的経験の時です。 自然の大地の深みでの植物種子の経験と平行して、大地の霊の深みでの霊的 経験があります。まさしく平行関係になる経験です。訓練の結果にしろ内在し た霊視能力によるものにしろ、このような経験が可能な見者は、自らがこうし た霊の深みに浸透していくのを感じます。13の日夜のこの期間に、見者は、 地上進化の開始以来ルシファーの諸力の影響下にあった受肉を通過して来たた めに人に何が生じねばならないか、眺めることができます。地上で受肉を始め てからルシファーが傍らにいるがために人が霊界で耐え忍ばねばならないカマ ロカの苦悩−そのすべての最も明らかなヴィジョンが、クリスマス祭と1月6 日の祭、つまり公現祭の間の13の昼と夜の間に魂の前に来ることのできる力 強い想像認識に提示されます。植物の種子が地下の深みで最も重大な期間を通 過している時に、人間の魂もその最も深い経験を通過しようとしています。魂 は、ルシファーの影響下で、世界を創造した霊的勢力たちから自らを疎外した がために、霊界で人が経験しなければならないことの全貌を眺めます。このヴ ィジョンは13の昼と夜の間に魂にもっとも明瞭になります。このために、そ れは、キリスト想像認識と呼びうるこの想像認識、そしてルシファーに勝利す ることによってキリストご自身が、ルシファーの影響下にあった受肉の間の人 々の行為の審判となられたということを自覚させるこの想像認識の啓示の最も よい準備だと言えます。見者の魂はイエスの誕生の祭から公現祭へと、キリス トの神秘が啓示されるように、生き続けます。この13の聖日と聖夜の間こそ、 魂が何よりも深く、ヨルダン川でのヨハネの洗礼の重要な意義を把握できるの です。 (…)冬至の最も暗い時点で魂は、キリスト霊から自らを疎外したために、人 が経験しなければならないすべてのことをヴィジョンで見ます。ヨルダンにお けるヨハネの洗礼によって発生した秘跡とそれからゴルゴタの秘跡によってど のように調整とカタルシスが可能となったか、そして、13夜においてどのよ うにヴィジョンがキリスト想像認識によって1月6日に絶頂に達するのかが、 明らかになりました。ですから1月6日をキリスト生誕の日と名付け、この 13夜を人間の魂における見者の能力が、人がアダムとイブからゴルゴタの 秘跡までの受肉の生に何を経験しなければならなかったかを識別知覚する時 と名付けてもよいでしょう。 ルドルフ・シュタイナー「13聖夜/地球の霊として、太陽霊が誕生する 」 (1911年12月26日 ハノーヴァー/佐藤公俊訳) |