これでもうレンブラントの創作活動における1640年、あるいは少なくとも三十年代の終わりの数年に近づいてきました。
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513 ヨハネの説教 |
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514 アブラハムの犠牲 |
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515 アブラハムが三天使をもてなすようす |
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516 大天使ラファエルがトビアスから去るようす |
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517 貞淑なスザンナ |
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520 サムソンの婚礼 |
今度はレンブラントの風景の試作が二点です。
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518 よきサマリア人のいる風景 |
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519 アーチ橋のある風景 |
これに引き続いて
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521 マリアの訪問 |
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522 赤い花を持つサスキア |
次の絵は通常、
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524 国の団結 |
と呼ばれています。
さて、今度は、レンブラントのなかでももっとも有名な絵のひとつですね、
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525 アムステルダム市民防衛軍の夜の行進 |
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523 扇を持つ婦人 |
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526 聖家族 |
前の絵からこれらの絵に進んでいくと、まさにこれらの絵画に一種の円熟の境地を感じることができると思います。
ここでいくつかの《自画像》を順番に見ていきましょう。
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530 自画像 1645 エッチング |
もう一枚
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531 自画像 1657 |
さらにもう一枚
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532 自画像 1660 |
次に
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527 羊飼いたちの賛美 |
さらに有名な一枚
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563 窓辺で読書する人 ヤン・シクス エッチング |
さて、とりわけ特徴ある画像のひとつの、慎み深さとでも申し上げたいものにおいて、この作品に注意してくださるようお願いします、ここでは、主体そのものが、読書する人を光のなかで示すことができるために用いられていて、そのためここではいわば光そのものが、内容に、短編小説的な内容にされているのです。
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534 スザンナとふたりの老人 |
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535 ある画家の肖像 |
さてここでまた《エマオのキリスト》です。
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536 エマオのキリスト |
この絵は途方もない親密さを持っています。-- さてここでもう1648年という年に近づきました。
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537 ダニエルのヴィジョン |
これは
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538 レンブラントの兄アドリアン |
の肖像です。
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539 キリストと姦淫の女 |
注意を向けなければならないのは、レンブラントの絵の大多数においてキリストは全然美しくないということです。
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540 鏡の前の若い女 |
さて、このすばらしいレンブラント絵画、これは今まさに読むために本を開いた女性です。
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541 読書する老女 |
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542 甲冑の戦士 |
今度は息子ティトゥスを描いた繊細な絵です。
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543 レンブラントの息子ティトゥス |
いわゆる《ポーランドの騎手》です。
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544 ポーランドの騎手 |
この絵の横に、そうですね、ルーベンスの、馬のいる絵を並べてみるとしたら、たとえばレンブラントとは何であるのかを見ることができるでしょう。そうすれば、レンブラントとルーベンスの捉え方における違いの全体を見ることができるでしょう。この馬は歩いています、ほんとうに生きている馬です。ルーベンスの馬は実際に歩いてはいません。
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544a ルーベンス 馬上のスペイン王 |
けれども、これが光から捉えるということと関連していないと考えてほしくないのです。観照にいそしみ、現実を再現しようとする人はやはり、結局硬化したフォルム以外のなにものも決して与えることはできないでしょう。絵画的にこれほど多く達成されているときでさえ、全体に少しばかりの硬直が注ぎかけられていると言うことができるかもしれないもの、そういうものも常にやはり少しばかり達成されています。うねる元素のなかに、生き生きと動く環境のなかに瞬間をとどめ、つまり外的な現実から創造するのではなく、人物たちを現実のなかに、つまり元素的現実のなかに据える人は、活発に動くものの印象を実現させるのです。
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544 ポーランドの騎手 |
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545 医師トーリンクス |
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546 ヤコブがマナセとエフライムを祝福する |
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547 王たち、マギたちの礼拝 |
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548 爪を切る老女 |
ひとつごらんください、この老女はほんとうに爪を切ってはいませんか。
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550 鞭打ち |
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551 ヤコブが天使と闘う |
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552 ユリウス・キヴィリウスの晩餐 |
ローマ人に抗するバタヴィア人の指導者の晩餐です。
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549 ダチョウの羽の扇を持つ婦人 |
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553 織物組合の代表たち |
さて、これもまた、画面に見られる紳士たちの共同注文に基づいて描かれた絵ですが、それゆえに、それにもかかわらず、レンブラントの最も偉大な傑作のひとつです。紳士たちがどれほど途方もない簡潔さのなかにいるかをただごらんください、織られた布地を調べ、布地が合格であるしるしにそこに捺印するのが仕事であった紳士たち、つまり織物職人ギルドの実際の責任者たち、スタールメーステル[Staalmeester]たちです。もちろん彼らは共同でこの絵の支払いをしましたが、ここでレンブラントは、彼らはとくに身分の高い紳士方でしたので、どの顔も覆われたりせず、どの顔もきちんと現れてくるように配慮しなければなりませんでした。この絵の高度な芸術的完成にもかかわらず、それも達成されました。この紳士たちは、そのひとりが彼らの名前を記した紙片を手にしている《解剖》の解剖する大学教授たちのようなことまではしなくてすんだわけですね。
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505 テュルプ教授の解剖 1632 |
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554 ある老婦人の肖像 |
これもまた自画像です。
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533 自画像 1663 |
そしてさらに高齢のレンブラントの作品をもうひとつ
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555 放蕩息子の帰還 |
ここでよく知られた《ファウスト像》をみなさんにお見せしたいと思います。
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564 ファウスト博士 エッチング |
これを見ると、私がこのところの考察のなかで述べましたことを思い出します、ゲーテはこの《光のなかの動き》そのものを十六世紀のものとして『ファウスト』のなかに記述しているのですが、それはレンブラントによってすでにそれ以前に示されていたのです。
ぜひとも言い添えておきたいのは、レンブラントに完全に精通するためには、彼のエッチング芸術に入り込んでいくことも必要だということです、そもそもエッチング芸術への特別な偏愛、特別な帰依はレンブラントが心のうちを明かそうとしたあの潮流に属することですが、レンブラントは画家としてと同様、エッチング作家としてもこれほど偉大で重要だということです。
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558 キリストの降架 エッチング |
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557 貢の銭 エッチング |
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559 エッケ・ホモ(このひとを見よ) エッチング |
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567 オリーブ山のキリスト エッチング |
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565 キリストが病人を癒す エッチング |
いわゆる《百グルデン画》、つまり《あなたがた苦難を負う者はみな私のもとに来なさい…》です。
ここでは、キリストをの姿を囲むまさにこの特徴ある人物たちのなかに、レンブラント芸術の美が真に現れているのがわかりますね。
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566 三つの十字架 エッチング |
みなさんにお見せした数々の自画像に加えて、最後の絵としてもうひとつ付け加えたいと思います、これもエッチングです。
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529 自画像 エッチング 1639 |
本日、レンブラントと、私たちが今まで見てきたものとの大きな相違 -- と申しますのも、そもそも私たちは、レンブラントにおいて特別な高みに現れるものが、デューラーにおいて輝き始めるのを見ただけでしたから-- のなかに私たちが見ることができたのは、私たちが今までによく知っている芸術家たちとはこれまたまったく異なる芸術家、申しましたように、隔絶して立っている比類のない芸術家です。こうした連続の芸術鑑賞のなかで、個々の人物の個性的な創造活動のなかのまさに特徴あるもののなかに入っていくことは、格別に魅力あることでしょう。そしてレンブラントはとくに、十七世紀から輝き出るひとりの強く力ある圧倒的な個人の、この直接的個性的なものに眼差しを投げかけるのにふさわしいのです。そして今日もそうであるような時代には、ヨーロッパに蔓延った荒廃のかたわら、ひとりの人間の魂、現存する宇宙の根源的な諸元素と直接関わっていると思えるような人間の魂によって、直接の創造活動が行われた時代に目を向けることが重要かもしれません。私たちがここで共にあることができる間に、芸術の進展のなかからさらにいくつかみなさんにお見せすることができることを願っています。
(第5講終わり)