●R.シュタイナー

 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を読む

 導入部


●R.シュタイナー「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)をテキストとした読書会を始めたいと思います。タイトルは「シュタイナー「いか超」から学ぶ」というふうにしました。「いか超」というのは、「いかにして・・・」を短く表現したもので、以前から、よく使われていた略称をそのまま使わせていただきました。

最初ですから、念のために言っておきますと、原題は

  WIE ERLANGT MAN ERKENNTNISSE DER HOEHEREN WELTEN?

で、直訳すると「人はいかにしてより高次の世界の認識を獲得するか」となり原題では「超感覚」という表現はとられていません。こういうのは、おそらく高橋巌さんの趣味なんだと思います^^;。ちなみに、ぼくがタイトルを訳すとしたらこうしたいと思います。

  いかにして高次世界の認識を得るか 

ちょっとした違いですが、超能力的なイメージはこれでなくなって、多次元世界の認識のような、認識論的なイメージのほうが強くなると思います。

なお、ぼくの手元にあるものは、少し古い訳で、現在購入できるものとは若干異なっている部分もあるかもしれませんが、基本的なところは変わっていないと思いますので、ページの参照等はそれを使っていきたいと思っています。

なお、目次を以下に書いておきます。

  第三版のまえがき……5

  第五版のまえがき……11

  第八版のまえがき……15

  条件……19

  内的平静……32

  霊界参入の三段階……32

   準備

   開悟−−思考と感情の統御

   霊界参入

  実践的観点……93

  神秘修行の諸条件……105

  霊界参入が与える諸影響……119

  神秘修行者の夢に現われる変化……161

  意識の持続性の獲得……171

  神秘修行における人格の分裂……180

  境域の守護霊……192

  生と死−−境域の大守護霊……204

  第八版のあとがき……217

  訳者の解説とあとがき……227

  年譜……241

 

誤解のないように言っておきますけど、ぼくにはここで解説されている「高次世界の諸認識」があるわけではないのですが^^;、そういう認識を獲得していなくても、そうした認識についての実践的な観点を得ることがある程度は可能であるということが、この読書会を通じてご理解いただけるのではないかと思います。そうしたことに関連した部分を、「第三版のまえがき」から引用紹介させていただきます。

 人間の魂の進化に関する本書の記述は様々の要求に応えようとしている。霊学研究の諸成果に関心を寄せる人々の中には、そのような人生の高次の謎を口にする者が一体どこからその知識を得たのか、という点に疑問をもたざるを得ない人もいるであろう。本書は先ず第一にこのような人のために役立ちたいと望んでいる。霊学は人生の高次の謎の本質に深く係わろうとする。この霊学からの発言の根底にある諸事実を吟味しようとする人は自力で超感覚的な認識を獲得しなければならない。本書はそのための道を記述しようとしている。

 しかしこの道を歩もうという要求や歩む可能性をまだ見いだせぬ人にとっても、霊学研究の成果は決して無価値ではないであろう。その研究のためには、確かに超感覚的世界へ参入しうる能力が必要である。しかし発表された研究成果が正しいかどうかについては、超感覚的認識を持たぬ人もまた、それぞれ自分自身の立場から、それを確かめることができる。本当にとらわれぬ態度で、健全な判断力を働かせるなら、霊学研究の成果はその大部分が直接検証されることのできるものになる。しかしいくらとらわれぬ態度をもとうとしても、人生のいたるところに存在する、あらゆる種類の偏見に予め惑わされていたのでは何にもならない。たとえば現代科学の所説に従う人には到底受け容れられないと思えるような場合がいくらでもでてくる。本当は霊学の立場と矛盾する研究成果は科学の分野においても存在しない。しかし偏見に惑わされている人にとって、科学の研究成果を規準にすれば、超感覚的世界についての記述と特定の科学的認識との間に一致点を見出すことはできないと信じることの方がはるかに容易なのである。しかしあらてめて霊学と真の実証科学との研究成果をよく比較してみるなら、両者の間に存する見事なまでの完全な一致がますます認められるようになってくる。(P.5-6)  

ここに書かれてることは、シュタイナーが幾度も繰り返し言っている視点で、霊学が科学的でないとする偏見をなんとかして拭おうというものです。ちなみに、「霊学」と訳されている言葉は「精神科学」とも訳せます。シュタイナーの訳者で有名な西川隆範は、おそらくはこの「霊」という訳が誤解を生みやすいということから「精神科学」という訳を比較的好んで使っているように思います。(場合によっては、「霊学/精神科学」と併記したりもしています)これは、人智学出版社関係での訳書や教育関係の訳書でもその傾向があります。ま、シュタイナーのいわんとすることを、変な先入見なく少しでも正確に伝えたいということなのだと思います。

上記の引用部分に関して再度強調しておきたいのは、

 発表された研究成果が正しいかどうかについては、超感覚的認識を持たぬ人もまた、それぞれ自分自身の立場から、それを確かめることができる。本当にとらわれぬ態度で、健全な判断力を働かせるなら、霊学研究の成果はその大部分が直接検証されることのできるものになる。  

ということで、ぼくも「超感覚的認識を持たぬ人」としての立場から、今回、再度シュタイナーの論を再度検討してみたいと思っています。特に、それが自分にとって真に魂の力を育ててくれるものかどうかをとらわれのない態度で感じとってみたいと思っているのです。

そういう意味で、今回の読書会のタイトルを「シュタイナー「いか超」から学ぶ」というふうに「学ぶ」ということを重視するものとしました。ですから、いわゆるオカルティックなものへの好奇心から「超能力を獲得できたらどうだろうか」というような姿勢はここではとりたくないと思っています。あくまでも、それぞれが自分の魂の力を育てていくために少しでも多くを学ぶという姿勢を基調にしていきたいと思っているのです。


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