note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間のなかに点と平面を対置することによって、近代幾何学の本来的な起源であるも
のの見方が純粋思考のなかに生まれます。それは空間世界を透視図法(遠近法)をとお
してみる見方、いわゆる“射影projection”にかかわる見方です。
(“射影幾何学projective Geometorie”という名称はこのことに由来しています)。私た
ちは実際、自身のエーテル体とともに光に満ちた世界のなかで生活しています。かつて
ルドルフ・シュタイナーが語ったように、私たちは光のなかをエーテル的に泳いでいま
す。しかし、それにもかかわらず私たちは ー 多くの誤りを含んでいる ー通常の光
学が説明しているように、物質的器官の助けのもとに上述の“収斂”を生じさせることに
よって、この光の世界を物質的意識へ、物質的ー地上的な生活の覚めた自己意識へと運
び込んでいるだけなのです。私たちは“拡張(周縁への拡がり)と収縮(点への収斂)”
のなかで、陽光に満ちた空間世界を体験しています。(P.25-26)
 たとえば、ある平面上に点や直線などで幾何学図形を描き、それに対して空間上にひ
とつの点、眼点を置きましょう。この点は一粒の種子のように、平面上に拡がりとして、
像として現れるすべての形態を、錐体(角錐や円錐など)として取り込みます。平面図
形のなかの直線は眼点のなかでは平面となり(…)、平面図形のなかの点は射線すなわ
ち眼点の直線となります。つまり平面上に図形を描いている直線と点は、眼点のなかで
はそれぞれ平面と直線として受け取られます。この平面と直線は目で見ることはできま
せん。平面図形は眼点のなかで内包的なものになったのです。まさにそれは光の種子に
なったのです。空間を形成しているのは“光”であることを認識さえすれば、これは容易
に感じ取れるはずです。形態を内包的に含むこの点の前に新たな平面を差し挟めば、そ
こにはもうひとつの図形が、つまりもとの図形に即してメタモルフォーゼした新たな図
形が映し出されます。
(P.26-27)

<note9>

◎空間のなかに点と平面を対置し、透視図法(遠近法)をとおしてみることで、
「射影projection」の見方が生まれる。(射影幾何学projective Geometorieはこの射影の見方から生まれた)
◎遠近法は視点の前に置いた「投影面」に、それを通過する光を写し取ることであり、
透視図法というのは、そのように目に映る像を平面に映すための技法。
一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法などがあるが、
ここでは点と平面との対置ということなので、一点透視図法をイメージする必要がある。
そして、射影というのは、物体に光を当ててその影を映すこと。
◎平面上に幾何学図形(平面図形)を描き、空間上にひとつの点(眼点)を置いて、それを見る。
◎すると、その眼点のなかでは、幾何学図形のなかの点は、その点と眼点との間を結ぶ直線となり、
幾何学図形の直線は、その直線と眼点との間を結ぶ平面となる。
しかし、それらの直線や平面そのものを目で見ることはできない。
◎その直線や平面の外延的なものは、眼点のなかで「内包的なもの」、
つまり「光の種子」になったということができる。
◎この「光の種子」という表現からイメージされるものが重要であると思われる。
種子からは、芽が出、葉が育ち、実り・・・という成長のプロセスが展開してくる。
◎さて、眼点と平面図形がつくりだす形は、、錐体(角錐や円錐など)の形になるが、
そのあいだに別の新たな平面を差し挟むと、そこには平面図形がさまざまに「メタモルフォーゼした新たな図形」が映し出される。
◎私たちは、実際には「平面」であるエーテル体を持ち、
「光に満ちた世界のなかで生活」しているにも関わらず、
この光の世界を物質的な「点」へと「収斂」させ、物質的・地上的な自己意識のなかで生活している。
◎そのように、私たちは「拡張(周縁への拡がり)」と「収縮(点への収斂)」のなかで、
「陽光に満ちた空間世界を体験」している。
◎この「拡張」と「収縮」という対極性は、非常に重要な概念である。