note04:点と平面との対極性

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 太陽的ーエーテル的なものと地球的ー物質的なものとのあいだにある対極性は、今日
 この対極性は、内的には“点”と“平面”との対極性として体験されます。(P.12)
 私たちは平面を、その全体において、いわば液体のように、まさにエーテル的に体験
し得るようにならなければなりません。 ー 点の集合としてではなく、無限の拡がり
を持つ一元的なもの、分割し得ないエーテル的なものとして。点が物質的な空間表象に
とって分割し得ないものであるように。(P.14)

<note04>

◎「太陽的(エーテル的)なもの」と「地球的(物質的)なもの」の対極は、
内的には「平面」と「点」の対極として体験される。
◎「地球的(物質的)なもの」としての「点」、そして「太陽的(エーテル的)なもの」としての「平面」。
◎「太陽的(エーテル的)なもの」としての「平面」を「エーテル的に体験」することができるように、
私たちはそれを点の集合であるとかいうイメージではなく、
「全体」において、「液体」のように、「分割し得ない」、「無限の拡がりを持つ一元的なもの」
として体験しなければならない。
◎いうまでもなく、ここでいう点や平面は物質的なものではない。
ペンをもって点を書くとか、そのペンでこんどはある区切られた平面を描く
とかいうイメージはここから排する必要がある。
そして、その点や平面は具体的な物質的な対象性のないものとして
抽象的にイメージする必要があるけれど、大事なのはここからで、
この対称のない抽象である点や平面をある種、「質」的にとらえる必要がある。
◎繰り返しになるが、このエーテル的な平面は分割することができない。
どこまでも無限の拡がりをもっている。
その平面の端というのはもちろん存在しない。
どこまでもどこまでも切れ目のなく、裂け目なく拡がっている無限の布。
その太陽的=エーテル的平面に対して、
「地球的(物質的)なもの」としての「点」を「対極」として内的に体験すること。
この内的な体験を冷たい抽象としてイメージするのではなく、質的にどこまでイメージできるか。
それが「エーテル空間」を理解するための最初の課題となる。
とはいえ、この課題、思いのほか、むずかしい。
魂と身体全体も動員する必要がある。