「戦争について語らないこと」ノート


1●戦争について語らないこと
2● 自分が「邪悪な主体である」可能性
3● 自己批判能力という基準
4● 日本人であることを引き受けること
5● 「どっちつかず」の気まずさに市民権を与えること
6● 弔いのために

 

「戦争について語らないこと」ノート1

戦争について語らないこと

(2006.8.9)

第二次大戦後に生まれた人たちがすでに大部を占めるようになり、
「戦争を知らない子どもたち」という歌があり、
おそらくその歌さえも知らない子どもたちもたくさんいる時代になった。
北山修の作詞、杉田二郎作曲の歌。
「戦争が終わって僕らは生まれた
 戦争を知らずに僕らは育った」ではじまり、
「僕らの名前を覚えてほしい
 戦争を知らない子どもたちさ」が繰り返される。

「戦争を知らない子どもたち」が流行っていた頃は
まさにぼくも「戦争を知らない子ども」で、
戦争を知らないなりに、かつて起こった戦争について語られたことや映像などを通じて、
また世界各地で戦争が起こっているさまざまな情報や映像を通じて、
戦争についての(実際のところまったく言葉にならない)ある種のイメージは
持つようになっているのだけれど、戦争については語ることができないでいる。
戦争については語れないし、なんらかの思想的立場に立つこともできないし、
「戦争はいやだ」「戦いにでかけるのはいやだ」という
きわめて個人的な気持ちを持っているという以外のことは語れそうもない。
「平和」について語ることさえ、それは何らかの「立場」の表明になるがゆえに、
避けておきたいと思っている。
これからもそれは変わらないだろうと思うのだけれど、
ちょうど、内田樹の「戦争について論ずるのはよくないことだ」という文章を読んで、
ああ、こういうふうに「戦争について語らないこと」はできるんだなあと思い、
原爆記念日、終戦記念日にあたって、
「戦争について語る」のではなく、「戦争について語ること・人」などについて
若干のつぶやきを残すくらいはできるかもしれないと思って、
その内田樹の文章をダシにしながら、ノートを書いてみることにしようと思った。

繰り返すが、これは戦争について語ろうというのではない。
もとより、戦争について語る資格はぼくにはない。
知識も見識も体験もない。
あくまでも「戦争について語らないこと」についてのノートである。
「戦争論」についてコメントすることにはなるかもしれないが、
それは決して「戦争について語る」ということではないので、念のため。

 私はこれまで一度も戦争について論じてこなかった。だとすれば、それは
「戦争について論ずるのはよくないことだ」と漠然と思っていたからに違い
ない。なぜ、私は「戦争について論じるのはよくない」と考えているのか。
(・・・)
 具体的にいま戦われている戦争について、それを俯瞰するような上空飛行
的視点がありうるのだろうか?その戦争に対して、どう判断し、どうかかわ
るべきかを教えてくれるような知的なポジションというのはありうるのだろ
うか?
 私はそんなものはないと思う。
 「そんな超越的な視座は存在しない」というところから出発すれば、戦争
の見方はずいぶん変わってくると思う。だが、知識人の多くはそういうふう
には考えない。だからこそ、彼らは戦争に対して非常に「まじめ」な態度を
とる。
(・・・)
「被害者」に代わって「証言」するために戦場に赴き、不可避的に「戦闘に
くみする」ことがおのれの倫理性の維持にとって譲ることのできない選択だ
と信じているソンタグの行動は、民主主義と人権を守るために譲ることので
きない選択だと信じているアメリカ政府の行動と、信憑のあり方において同
型的である。(…)
 私たちは知性を計量するとき、その人の「真剣さ」や「情報量」や「現場
経験」などというものを勘定には入れない。そうではなくて、その人が自分
の知っていることをどれぐらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい
信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化でき
るか、を基準にして判断する。
 その基準に照らした場合、スーザン・ソンタグの知性はかなり低いと断じ
てかまわないだろう。
 しかし、これはソンタグ一人の責任ではない。
 戦争についての「知識」や「経験」の量の多寡が、知性の査定基準である
と信じているすべての人々、その「知識」「情報」「経験」から導かれた
「立場」の貫徹にどれほど真剣かつ徹底的であるかは倫理性の査定基準であ
ると信じているすべての人々…は、その意味でソンタグの同類である、彼ら
は戦争「そのもの」には関心がなく、ただ戦争という「事件」にどうかかわ
るのかをショウ・オフすることによってローカルな同職者集団のなかでのヒ
エラルキーを高め、発言権を増し、自分に反対するものを黙らせることに主
たる関心がある(そしてそれこそが「主な関心」であることを、夫子ご自身
は都合よく忘れているのである。)
 私は戦争について語りたくないし、何らかの「立場」もとりたくない。も
ちろん現場になんか頼まれたって行きたくないし、「戦闘にくみする」こと
なんかまっぴらごめんである。
 そんな人間は戦争について論じる資格がない、とソンタグとその同類たち
が言うから、私は黙っているのである。黙るもなにも、そもそも私には何も
言うことがない。戦争のことは、私には「よく分からない」からだ。私はた
だ戦争が嫌いで、戦争が怖いだけである。…残念ながら、いま「戦争につい
て語る」ことは、ソンタグ的なフレームワークを受け入れることを意味して
いる。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.17-27)

内田樹の基本的な考え方のなかで、
知というのは、何を知っているかではななく、
何を知らないか、問いを持っているか、だというのがある。
こうした姿勢への共感から、この「戦争について語らない」ノートはある。

上記の引用でいえば、ぼくが戦争に限らず最重要だと思っているのは、
「その人が自分の知っていることをどれぐらい疑っているか、
自分が見たものをどれくらい信じていないか、
自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか」である。
つまり、戦争について自分が知っていると思っていることを疑うこと、
戦争及びそれに関したことにコミットしたことをどれだけ信じ込まないか、
自分の論を正しいとしたい・正義だとしたいという欲望に意識的でありえているか、である。

もちろん、戦争に関して得ているだろう
「知識」「情報」「経験」が意味のないことだというのではもちろんない。
それが披瀝されたものを知るのはそれなりのガイドになる。
しかしぼくにできるのは、それの正しさの度合いを判断し、
もっとも正しい立場を自分の立場に近いものとして表明することではない。
むしろこうして「戦争について論じるのはよくない」と考えている人の言葉に
なんらかの共感を示すことくらいがせいいっぱいのところなのである。

 

「戦争について語らないこと」ノート2

自分が「邪悪な主体である」可能性

(2006.8.9)

 戦争であれ、ジェノサイドであれ、「だれ」がそれを起こしたのか、とい
うような問いは無効である。「私がそれを起こした」と確信している人間な
どそこには一人もいないからだ。全員が「自分こそ最初の、最大の被害者で
ある」と思いこむ人々のあいだで、はじめて破壊的な暴力は発生する。暴力
の培地は悪意ではない。おのれは無垢であるという信憑である。
「だれか」が戦争を始めた。「だれか」が戦争を終わらせるべきだ。問題は
「だれか」を特定することだ、というソンタグのロジックには「私が戦争を
始めたのではないか?」「私がごく当たり前のようにここにいるということ
が、すでに誰かの主体性を侵害しているのではないか?」という問いが抜け
落ちている。
 ソンタグ的世界では、一方に戦争とジェノサイドを起こしている「邪悪な
主体」がおり、他方に戦争とジェノサイドを阻止するために駆けつける無垢
で知的な「騎兵隊的主体」がいる。
 すべては「主体」の意思と決断の次元で語られる。
 とても、分かりやすい。
 けれども、このあまりに分かりやすい図式には一つだけ欠点がある。それ
は「主体」たちは、絶対に自分が「邪悪な主体である」可能性を吟味しない
ということである。
 スーザン、君のことを言っているのだよ。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.32-33)

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」には
「アラユルコトヲ ジブンヲ カンジョウニイレズニ
 ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」とある。
もちろん、宮沢賢治は自分を無垢で無罪であるとしているのではなく、
むしろ自分の罪を過剰なまでに意識しているがゆえに、
みずからのエゴを戒めようとしているのだが、
それでさえやはりあえて「ジブンヲ カンジョウニイレ」ることは
とても大切なことではないかと思う。

風が吹けば桶屋が儲かるように、
ぼくがなんらかの言葉を使ったり行動をしたりすることで、
自分では気づかないところで重大な事件が起こる可能性は否定できない。
ぼくの言葉を読んで、怒り心頭に発して、どこかで傷害事件が起こったりすることも
まったくないということはできないだろう。
もちろん逆に、何か人の役に立つようなことをされる人がいることも
まったくゼロの可能性だと言い切ることもできないように。
もちろんどちらにしても、おそらくぼくには刑事責任のような
法にふれる責任は生じないだろうが、問題はそういうことではない。

人間の魂の成長を図ることのできる基準を明確にすることはできないが、
きわめてアバウトにぼくの思っているところをわかりやすくいうとしたならば、
「自分がどこまで責任の可能性を持ち得るか」への自覚が
きわめて重要になってくるのではないかとは思っている。
キリストは全地球・全人類の責任を負っている(と思うのだけれど)がゆえに、
地球の主だといえるわけで、
「郵便ポストが赤いのも自分のせいだ」とさえ思えるようになって、
それが単に自虐でないとしたら、その人の魂はやはり
それなりに成熟しているということがいえるように思う。
だから、自分以外のところに「邪悪な主体」を見つけて、
それを糾弾するだけの行為というのは、それとはまったく逆のベクトルの行為となる。

「自分は悪くない」といえるのは、
まだ自分を正義だとまでは思っていない状態だけれど、
「あいつが悪い」「自分は正しい」と思いこむ正義感には、
「ジブンヲ カンジョウニイレ」ることが欠落している。
念のためにいえば、これは法律上の責任が云々ということではない。
それは別の話である。

自分がこうしてこの地上に、肉体をもって生きていること。
それはおそらく、こうしていることそのものに責任を負っている。
でなければ、地上には生まれてくることができないとぼくは理解している。
であれば、この地上に自分に無関係なことはまったく存在しないはずである。
そしてまた自分が原因である可能性のないこともまったく存在しないはずなのだ。
ぼくは、無垢ではありえない。

地上の物質を使った肉体をまとい、そこに生命の源を注いでもらい、
しかも宇宙のアストラルによって貫かれ、そうして
「私」という主体の可能性によって立つことができている。
そんななか、地球の営みの縁起の網の目のなかで、戦争が起こっている。
ぼくは、戦争を語ることもできないし、コミットしたいとも思っていないが、
自分は無関係だということはできないと思っている。
そして、「私がごく当たり前のようにここにいるということが、
すでに誰かの主体性を侵害しているのではないか?」という問いは必然的にでてくる。

戦争ではないが、環境問題が現代において急務になっているのは、それに似ている。
「私がごく当たり前のようにここにいるということが、
すでに環境を破壊しているのではないか?」という
今や誰にとっても避けることのできない問い。
「ジブンヲ カンジョウニイレズニ」いることはできないのである。

 

「戦争について語らないこと」ノート3

自己批判能力という基準

(2006.8.16)

 私たちは知性を検証する場合に、ふつう「自己批判能力」を基準にする。
自分の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れ
てものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の
知性を計量する。自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考
えている者のことを、私たちは「バカ」と呼んでいいことになっている。
 藤岡が、彼自身の知的形成の場であり、彼に東大教授というプレスティー
ジの高い地位を付与した日本の戦後体制をあしざまに罵るのは、「自己批判
能力」があることを示すためであって、理にかなった行為である。だから藤
岡には自虐的になる権利があると私は思う。同時に、他人が同じ理由から自
虐的になることに対して藤岡には文句を言う権利がないとも思う。
 藤岡と、藤岡が「自虐史観」と批判している歴史家とのあいだには、「日
本はいつからいつまでダメな国だったか?」という設問に対する答え方の違
いだけしかないように私には思える。それが「いつか」という点を除けば、
彼らは「日本はダメな国だ」という主張について、みごとに意見の一致を見
ているからである(むしろ「過去の日本」ではなく「現在の日本」をあしざ
まに罵っている分だけ、藤岡の方が読者たちの国に対する「誇り」を萎えさ
せる度合いは深いかもしれない)。
 私自身は、藤岡や「マルクス主義者」に共通するこのような思想的フレー
ムワークを「危機史観」「陰謀史観」と呼んでいる。
「いまは亡国の危機だ」と警鐘を乱打し、ついで「危機の元凶は誰か?」と
いう「犯人探し」によって社会的な「悪」を局在化し、その剔抉を解決策と
して処方するという手続きを「科学」であると信じている点で、藤岡は『ヘ
ーゲル法哲学批判』におけるマルクスとよく似ている。
 藤岡は「犯人」像をこんなふうに描いている。

   共産主義の怪物がソ連のような形をなしている間は人々にとって目に
  見える的敵になりますが、打倒されると目標は見えなくなる一方、その
  体液は世界全体に飛び散っていたるところに拡散し蠢動を続けるのです。

「伝染病菌」や「寄生虫」のメタファーで「社会の敵」を記述することを偏
愛した歴史上の人物として私たちがすぎ思いつくのは、ヨセフ・スターリン
とアドルフ・ヒトラーと毛沢東である。
 藤岡はイデオロギー性とは「メタファー」の形をとって出現するものだと
いうことを知っているだろうか。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.42-44)

「自虐史観」も、それを批判する立場も、
「日本はダメな国だ」という点では変わらないというのは、確かにそうである。
それは、反対も「反対の反対」も同じベクトル線上であることに違いはない。
違いのひとつは、「反対」にもまして「反対の反対」は激しいものとなることだろうか。

ここでノートしておきたいと思ったのは、
もちろんその両者をあげつらって批判するためではないのはもちろんである。
そうすることは、むしろそのベクトル線上に自分を位置させてしまうことになってしまう。

ぼくが十二分に「バカ」であることは、
ひとにいわれる以前に間違いないことではあるけれど、
少なくとも「自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考えている」、
という意味での「バカ」にだけはなりたくないと思っている。
ここでいう「自分の」というのは、往々にして「自分たちの」というように、
党派的であることも多く、それぞれはまさに「自分は正しい」ということを
全面にだすことを恥じないということで共通しているように見えることも多い。

もちろん、自己批判能力というのは、
自分はダメなやつだというのが好きでなくちゃいけないというのではない。
自分はわかってないのかもしれない。
偏見でものを言っているだけなのかもしれない。
善良であるとは思ってない。
そうしたことを前提にしてあえて、自分なりに考えようとする、
さまざまな問いをもとうとする、そうしたプロセスに身を置くことを忘れない力のことだ。

「戦争について語らないこと」というのも、
そうしたプロセスをふまえておきたいということでもある。
同じベクトル線上に身を置かないということは
ともすれば外から傍観しているかのように見られることもあり、
そのことが批判されることもあるだろうが、
単なる傍観には自己批判能力はそこに存在しない。
その点において、単なる傍観も同じ穴の狢も同列になってしまう。

自分がバカに見られることや正義や善なるものとして見られないことよりも、
敵をつくってそれに対することで自己批判能力を失うことをおそれたほうがいい。
それこそが常に自己チェックしておかなければならない点だと思われる。
その自己チェックさえわすれなければ、さまざまなイデオロギー性にも気づきやすくなるし、
さらにいえば、そういうところからさまざまなものを学ぶことも十分可能になる。
反面教師はある意味で、最大の教師ともなり得るのだから。

 

「戦争について語らないこと」ノート4

日本人であることを引き受けること

(2006.8.18)

 私たちはある意味で日々の行動(あるいは非行動)を通じて、「日本人と
しての政治的責任」にかかわる決定を下し続けている。それは義務であるだ
けではなく、憲法で保証された私たちの基本的な権利でもある。
 それらのオプションは、それぞれがその正しさについていくばくかの論拠
を持っているだろう。そのうちのあるものは説得力があり、あるものはそれ
ほどの説得力がない。それらが議論でしのぎを削るのは当然のことだ。しか
し、あるオプションに賛同できないものは「パスポートを裂け」、「難民に
なれ」と言うことは、「ルール違反」であると私は思う。それは「おれの意
見を聞けないやつは非国民だ」というのと論理的には同型の恫喝である。
 政治的私見を述べるものが「私が正しいことを認めろ」と主張することは、
合法的である。しかし、「私が正しいと認めないものからは政治的権利を剥
奪しろ」と主張することは、合法的ではない。
(・・・)
 もちろん「恫喝」という形式で「正しいこと」が語られることだってある
かもしれない(私は一度も経験したことはないが、広い世界だ、あるのかも
しれない)。しかし、「恫喝」の語法は結果的にはその「正しさ」を汚し、
無効化することになるのではないだろうか。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.64-65)

高校の頃、全校で高校野球の応援をするというので、
とくに応援したいとは思わなかったぼくは
それが必ずしも義務ではないことを確認した上で、
ほとんど誰もいなくなった学校にのこって図書館で過ごしたことがある。

その行動そのものはかなり卑屈なものでしかなかったのかもしれないが、
自分の学校を応援するということとその学校の生徒であることが
自動的に決められてしまっているように見えるなにかの無自覚な縛りから
自由でありたいと思ったのだったろう。
もちろん教師は「健康に問題がないかぎり、みんな行くことになっている」
といった説得は試みたのだと思うのだけれど、
「野球にはとくに感心もないし応援したい友人もない」という言い訳を貫いた。
それはたしかに言い訳にすぎなかったのは確かなのだけれど、
みんながほとんど自動的にそうしてしまうということに対して、
ある種の露骨な反抗的態度を示したかったわけである。

そういう態度が説得的だったかどうかは別として、
(たしかにひどく子どもっぽい行為でしかないが)
そういう行動(あるいは非行動)が可能であるということは、
とても重要なことではないかという気がしている。
もし可能でなかったとしたら、その学校にはいられなかったかもしれない。

そういう意味で、日本人であるということは、
日本人であるということを絶対化することではないように思う。
「愛国心」がなければ、日本人ではないということでもない。
むしろ、日本人を絶対化しないもの、
狭量な意味での「愛国心」を強制されないということが
そのなかにはなければならないように思っている。

日本の素晴らしさを認めることができるということは、
日本のさまざまな過ちや愚かさや気持ち悪さなどもふくめて、
認めることができるということである。
それは、自分を認めることができるということが、
かならずしも素晴らしい自分だけを認めることだけではないということ似ている。
自分を愛するということは、自分の醜さをも自分で許せる可能性ということである。
自分という存在は「分」とあるように、そもそもが分裂している。
その分裂を、自己否定へと流れないように統合するということは、
正しさや美しさだけではないさまざまをも、
自分なりに引き受けながら常に変化する可能性をもつということである。
自らの由としての自由ということは、自らの由をあえて引き受けるということなのである。
日本人を引き受けるということをそういう方向性でとらえたいと思っている。

 

 

「戦争について語らないこと」ノート5

「どっちつかず」の気まずさに市民権を与えること

(2006.8.23)

 先日、合気道の全国学生大会を見学に行った。開会式の次第に「国歌斉唱」
とあった。司会者が「それでは国歌斉唱です」というと、会場中の数百人が
素直に立ち上がって国旗に向かった。しかし「君が代」を声に出して歌うも
のは、来賓を含めて数名しかいなかった。しん、と静まり返った体育館の中
に小さな声とテープの伴奏音だけが響いていた。
 私はこの風景には現代日本人の実感がみごとに表現されていると思う。
 その場には、みっともないから「みな、大声で歌え」と怒鳴るものも、ど
うせ歌わないのだから「国歌斉唱なんかやめてしまえ」というものもいなか
った。全員が「どっちつかず」の気まずさを静かに共有していた。
 国家の象徴を前にしたときのこの「気まずさ」、この「いたたまれなさ」
が私たちの国家とのかかわりの偽らざる実感なのである。ならば、そのよう
な実感に言葉を与え、市民権を与え、それを国家への態度の基本として鍛え
上げていくことが、いま私たちに課されている思想的な仕事ではないだろう
か。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.71)

「〜してはいけません」「〜と言ってはいけません」と、
言葉や行動を禁止されるというのは、嫌なことだけれど、
「〜しなさい」「〜と言いなさい」というふうに
言葉や行動を強制されるというのは、もっと嫌なことだ。

そのバリエーションとして、二者択一というのがある。
「AかBかどちらかを必ず選べ」。
「AかBか選びなさい。そして、Bを選んだときにはXという制裁がある」。
そこには、選ばない選択や、
とりあえず、あいまいなままなものをあいまいなままにしておく選択の可能性は否定される。

もちろん、禁止も強制も二者択一の強制も、
どうでもいいようなテーマのばあいは、
どうでもいいような類のなりゆきや笑い話として処理することも可能だけれど、
「気まずさ」や「いたたまれなさ」といったものが伴う場合に、
禁止や強制や二者択一の強制がおこなわれるというのは、
どこかおかしいのではないかという感覚をもつことが多い。

「気まずさ」や「いたたまれなさ」のなかで、
どこか宙づりになってしまうようなもの。
白でも黒でも灰色ともいいがたいものを、
「白といいなさい」「黒といいなさい」「灰色といいなさい」というのは、暴力である。
「白でも黒でも灰色でもない」としか実感として言いようもないものを、
「白でも黒でも灰色でもない」といえるための何かがあればいいと切に思う。

日本では、時代の波のなかで陽明学的な流れが見え隠れしたりするが、
それは「純粋さ」を行動原理としているようなところがある。
そこでは、「白でも黒でも灰色でもない」ということは許されない。
知行合一を純粋さの行動原理としているのである。
しかし、その「知」において「白でも黒でも灰色でもない」ものを
「白」「黒」「灰色」いずれかにしてしまうというのは、
実際のところ、知行合一に矛盾しているとさえいえるのではないか。

優柔不断としての「白でも黒でも灰色でもない」ではなく、
「白でも黒でも灰色でもない」と言える明確な言葉と行動。
その可能性について、もっと検討してみる必要があるのではないだろうか。

 

「戦争について語らないこと」ノート6

弔いのために

(2006.8.30)

 カミュが『異邦人』で試みた「無意味な死者をその無意味さのうちで哀悼
する」という鎮魂の儀礼は、死者を私たちの「現在の」意味のシステムのう
ちに回収してはならないという強い禁欲に動機づけられていた。「顔」は
「意味」しない。だから「顔」に意味を担わせたとき、それはもう「顔」で
はなくなっている。
 死者を「侵略者」として鞭打つために呼び出すものも、死者を「英霊」と
して顕彰するために呼び出すものも、死者の「顔」を見ようとしない点では、
つまり「本当の戦争の話」を語らないという点では、同じ身振りを繰り返し
ている。
 この閉じられた言説空間からの脱出に向けて歩み出すことは可能だろうか。
おそらく可能であると私たちは信じる。それは「裁き」と「赦し」を同時に
果たしうる「物語」の力にもう一度だけ掛け金を置くことである。困難では
あるけれど、さしあたり私たちが最初の歩みを踏み出す道はそれしかない。
(内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫/P.128-129)

死なない人はいない。
しかし、その死に方はさまざまだし、
その死後のあり方もおそらくさまざまだろう。

政治において、かつての戦争の死者は、
「英霊」として扱われたり、「侵略者」として扱われたりする。
しかし、おそらくそのどちらも、死者を弔うこととは別の意味を
そこに担わされることになる。
おそらくそこにあるのは、死者の「顔」ではない。
そこにあるのは、政治的な「意味」の仮面でしかない。

そうした「仮面」の処理を通じた外交努力は、
たとえば靖国参拝に対する中韓によるバッシングを決して憂慮したりはしない
アメリカの極東における「日中韓の接近を阻止する」「権益」のもと
さまざまな形で今後もなされていくのだろうが、
ここであえて言葉にしたいと思っているのはそういう類のことではない。

死者を弔う可能性そのものについて考えてみたいのである。
そもそもなぜ死者を弔う必要があるのかということについて。

いわば成仏した死者には、弔いはいらない。
理想は弔いがいらない状態である。
「戒名不要 墓不要」
それがいちばんいい。

しかしそうならないのが人間界の悲しさ。
「戒名」も「墓」も必要で、「墓」にこだわったりもする。
圧倒的に多いそうした不成仏霊たちにとって、
「自分はこんなにして生き、死んだのだ」ということを
認めてくれるということはなによりも重要なことになる。
つまりは、生きている人とそんなに変わらず、
「私を見て」ということが言いたいわけである。
「私はこういう理想をもって/悲惨な戦争のなかで・・・死んだのだ」と。
そのことを認め、その思いを鎮めてほしい、弔ってほしいのである。
そうでなければまさに「死んでも死にきれない」ままで宙づりにされる。

そんなことをあれこれと考えているうちに、
内田樹のほかのエッセイ「メメントモリ」を読み、腑に落ちたことがある。
(内田樹『態度が悪くてすみません』角川oneテーマ21 所収)

そのエッセイのなかで、内田は、
「弔う」ことは、「呪」をかけることであり、
それはまた「鎮める」とうことと同義であるとあった。

「呪」は、岡野玲子の『陰陽師』からのもので、
そこでは、「呪」とは「名」のことであり、
「名」は生者死者を問わず人間を縛る。
そこでの孫引きでいうと(晴明が博雅に語ることば)
「この世に名づけられぬものがあるとすれば、
それは何でもないということだ。存在しないとも言える」
だから、すべては名をもつことによって具体的な存在になることができる。

「呪をかける」ということと「鎮める」ということは同義である、というこ
とを私はそのあと白川静から教えてもらった。文字はものを名付ける。名づ
けられたものは存在を始める。そして存在の世界に秩序をもたらす。「文字
は呪能をもつ。声によることばの祈りは情念を高めるが、文字形象に封じこ
められた呪能はいっそう持続的であり、固定的である」(『漢字百話』)
 呪の遂行的なかたちは「詩」である。『詩経』の「賦」という詩形は「祝
歌」のことである。「賦」とは「例えば山の美しい姿を見て、そして山の茂
み、おそこの谷の具合、あそこの森の深さ、とかいう風にね、色々山の美し
い姿を描写的に、数え上げるようにして歌ってゆく。(…)歌うことによっ
てその対象のもっておる内的な生命力というものを、自分と共通のものにす
る、自分の中に取り入れる」(『呪の思想』)
 あるいは「興」という詩形は、地に酒を注いで、地霊を呼び覚まし、祝し。
鎮める。これもまたあるものを歌うことによって、その身を気遣い、安んず
るために「主題化」するのである。
「弔う」ことは、広義の祝鎮に含まれる。ならば、そのもっとも正統的な形
態は「歌う」ことであるだろう。歌うことによって「目覚めさせ」、「描写
的に数え上げ」、それによってそれがもつ「内的な生命力」を私たちと共通
のものとして受け入れ、そうやって霊を鎮める。
(P.226-227)

この引用部分を書き写しながらイメージしていたのは、
シュタイナーのいう四大霊の解放ということだった。
四大はかぎりなくこの地上において閉じこめられている。
それを解放するというのが人間の使命だともいえる
そのために、祈りや言葉や歌がある。

死者に対してもおそらく同様なのだろう。
解放されずにいる死者たちを
「「目覚めさせ」、「描写的に数え上げ」、それによってそれがもつ「内的な生命力」を
私たちと共通のものとして受け入れ、そうやって霊を鎮める。」
逆にいうと、そうしなければ鎮魂されないのだろう。

 そこまで考えたときにようやく、どうして司馬遼太郎や下母澤寛があれほ
どの情熱を込めて維新で横死した若者たちの肖像を描くことにこだわり続け
たのか、なぜ村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』でノモンハンを書く気に
なったのか、その動機がぼんやりと分かりかけてきた。たぶん若い作家たち
の中から、近い将来、ただしく「詩」の伝統に従って、大日本帝国とその死
者たちの「呪鎮の物語」を壮大なスケールで描くような人が出てくるだろう。
私にはそんな予感がする。そのような「アンティゴネ」による喪をまって、
はじめて戦後半世紀にわたって弔われずにきた死者たちは永遠に去ってくれ
るだろう。
(内田樹『態度が悪くてすみません』角川oneテーマ21/P.227-228)

死者たちが「浮かばれる」というのは、
死者がみずから死者として「目覚め」るべく「呪」をかけ、
その上でその「顔」を数え上げ、そのことによって、
私たちのあいだの「物語」としてともに生きることができる、ということであり、
そのことで、死者たちは弔われ、「永遠に去ってくれ」ることになるのだろう。