風のトポスノート836
政治や選挙への意識が変わる日
2013.7.23



◎シュタイナーとモルトケ

シュタイナーの第一次世界大戦のときの話からはじめよう。

シュタイナーは、第一次世界大戦をなんとか止めようと孤軍奮闘していた。そのために、第一次世界大戦を事実上開始した小モルトケ(ルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ)というドイツ帝国の軍人に働きかけたが、その小モルトケは第一大戦中に亡くなってしまい、シュタイナーの試みは挫折してしまう。シュタイナーは、当時ドイツの政治家達の軍事的判断と政治的判断が決定的に対立してしまっていて、政治的な判断は状況に対する判断力をまったく失ってしまっていたと考えていたようだ。そしてその「罪」は、ほとんど政治的思考のできない国民の「罪」でもあり、ドイツ国民は、戦争に至らざるをえない状況を予感さえできていなかったと。

第一次大戦のときの状況と現在の日本の状況を比べて考えているわけではないけれど、ぼく自身、「政治的思考」がほとんどできない。というよりも、政治や選挙に対して関わることに対して拒否的である自分というのがいるのがわかる。投票にはここ数十年かならず出掛けているが、実質的には投票に行かないことと変わりはない。ある意味で積極的に拒否している意識が確かにある。ひとことでいえば、シラケている。政治状況などについて関心がないわけでもなく、それなりに考えがなくもないのだけれど、それが反映されるであろうなんらかの政治状況が存在していないということでもある。政治や選挙は、そしてそれに関わることはおしなべてダサいのだ。

選挙の投票率があまりにも低い原因は、おそらくただただ無関心というだけではないのではないかと以前から思っている。投票しない理由には、もちろん無関心も大きいのだけれど、その無関心をつくりだしているそうしたダサさがあり、そのダサい感じが深く無意識に刷り込まれている層と、意識的ではあるけれど、そのシステムや現状そのものに対してある種絶望している層と二つの層があるように感じている。ぼくは選挙には行っているけれど、実質的にはその後者の絶望的なまでに感じている層に近いのだろうと思う。絶対に世の中は変わらないんだという絶望ではなく、システムや現状そのものを変化させようという方向性で活動するほどの力は持ち得ないと思っているということだ。それよりも重要なのは、現在多くの人たちがもっている世界観・宇宙観のほうを根本的に変化させるということではないかと。そのためには、少なくとも自分なりの納得できる世界観・宇宙観をもつことからはじめたいと。

◎2013年の2つのエポックとして

ところで、ヌーソロジーの半田広宣氏は、「人類が神を見る日」を「2013年」としている。そして、10年ぶりに東京で「NOOS LECTURE 2013 IN 東京」をスタートさせた。参院選の投票日7月21日にである。その前日、渋谷では、山本太郎、三宅洋平、両氏の選挙演説があった。注目度としては両者を比較するようなものではないが、少なくともある意味での象徴的な意味合いとしては、なにかがそこで同時多発的な事件のように感じている。その象徴的な意味合いを言葉にするならば、ぼくのなかでは、この動きはここ数年とくに顕著になっていることなのだけれど、「隠されていたもの、隠されているように思っていたものが、見えるようになってきている」ということになるだろうか。だから、見たくないものも見ざるを得なくなってくるし、隠されることで力を持ってきたさまざまな勢力もそれが白日のもとにさらされることになる。

ぼくも少し前までは、ほとんど今回の選挙をやれやれとしか思っていなかったのだけれど、三宅洋平の演説をネットで聴くうちに、そこに特別ななにかがあるように感じられ始めた。三宅洋平の演説をライブで熱心聞いている人、そしてネットで熱く視聴している人の多くは、それまで政治に関心のない人たち、選挙に行かない人たちだったのだろうと思う。そうした人たちのなにかに火を付けているような演説。ぼくにとっても、まったくはじめての体験だった。ぼくにとってもっとも重要だったのは、三宅洋平のコンセプトは自分と反対の意見をもっている人を批判し戦うというのではなく、「話す」「語る」ということだったことだ。だから、すでに選挙戦は「戦争」ではもはやない。「戦う」という位置づけは意味を失っている。ある意味で、ガンジーの「非暴力、不服従」を超えている。

◎隠されていたものが表にでてくるという現象

興味をもってここのところネットでのいろいろな意見を見ているのだけれど、三宅洋平への関心は、政治や選挙に深く関わっている人のなかでも非常に高まっているのがわかる。おそらく、その明確なコンセプトは、なにかを隠すことで力をもってきた勢力にとってはもっとも大きな脅威にもなってくることから、さまざまな抵抗もまた高まってくることになるということでもあるだろう。

かつての古代的なオカルトも同様だけれど、ある種の力は隠されることで有効に行使されていた。そのために、秘密を明らかにすることが禁じられていたりもしたが、シュタイナーは現代においてはその秘密は明らかにされる必要性があるという姿勢をとった。秘密は意図的に隠されているのではなく、認識力がないがゆえにある種の人にはその時点では秘密として顕現しているというだけのことなのである。そういうシュタイナーの基本姿勢は、旧態依然としたオカルトの立場からは敵視され、さまざまな妨害にあうことになった。

政治や選挙もある意味で同様である。それらの実質が、多くの人に隠されたまま作用できたほうが、力を行使しやすくなる。それまで見えなくさせられていたものが多くの人に見えるようになってしまったとき、それまでに行使できていた力が行使できなくなってくるわけである。

今回の三宅洋平の選挙演説が、ある意味でエポックになりそうなのは、それまで見えなくさせられていたものが見えるようになる、つまり見ようとすれば見えるんだという、そのきわめてあたりまえなことを明らかにしたことにあるように思っている。だから、ある意味、立場を超えて、その影響力は高まっていくのではないだろうか。すでに三宅洋平という個人ではなく、いちど蒔かれた種はこれからさまざまなところで芽吹いてくるのではないかと思う。表向きは「選挙に行きましょう」「政治に、政策に関心をもちましょう」といっていても、既存の勢力にとっての本音は逆のところにあるだろうかた、おそらく政治や選挙に対する無関心によって成立していたシステムやそれを温存することで力を保持しようとしていた人たちにとっては、おそらくはもっとも大きな脅威でもある芽吹きでもあるのだけれど。

◎三宅洋平の裏選対の最高責任者「斎藤まさし」インタビュー

さて、そんななかで、「山本太郎と三宅洋平の実質的な選対本部長(「裏選対の最高責任者」)を務めた斎藤まさし氏のネット初のインタビュー」というのが「日々坦々」で公開されていて非常に面白い。いわゆる保守層にとっては、とんでもない人という意味で有名だともいえるのだろうけれど、これまでおそらくこうしたカタチで表にでてきたのも、ある意味、2013年というエポックならではということなのかもしれない。この人も、三宅洋平の「事件」で、変化の可能性を実感して、ここまでオープンなインタビューに応じる気になったのかもしれない。三宅洋平と同じく、ネットの不思議な魔術。今回の7/25 にネットで生中継もされた「斎藤まさし氏インタビュー」は以下のサイトで視聴できる。ほんと、立場を超えて、おもしろい。
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