風のトポスノート807
「私」をめぐる/とともに歩む冒険
2012.6.12



ぼくの生まれて最初の記憶といえば、
実際のものなのかどうかはよくわらないけれど、
2~3歳頃のいくつかの風景がある。

その頃の、ぼくの意識というのはどういう状態だったのだろう。
なんらかの記憶の働きがでてきたということは、
個体としての自分を外界との関係のなかで意識していたということで、
自分と外界がなんらかのカタチで分かれてきていた状態なのだと思う。

その後、次第にいろんな記憶が増えてくるが、
自分のなかである種の自己意識が生まれた決定的な時期といえば、
8〜9歳頃のことだったように思う。
それ以前は、自分のことを「私」「ぼく」という表現ではとらえていなかったようだ。
「私」「ぼく」という表現は知っていたし、それを使えないわけではないとしても、
その言葉が、ぼくの中から自然にでてくる自己意識はまだなかった。
しかし、それ以降、自分であるという意識が次第に強くなっていき、
外界にあるさまざまな存在のような呼び方で自分を呼ぶことはできなくなる。

それでも、12歳頃までは、たとえば熱がでてきたりすると、
外界が妙な感じで見えてきたり、外から自分が見えたりといった状態もあって、
その自己意識もかなり外界と截然と分かれたものではなかったのかもしれない。
しかし、それ以降は、そういう状態もまずなくなり、
ぼくはぼくでしかなくなり、そのぼくがぼくでしかないという状態が、
ぼくをさまざまな不安にさせたりもするようになる。
自分が世界から存在しなくなるということ、つまり、死だが、
そういうありようを想像したりもするようになる。
今、このぼくがぼくだと思っている意識がなくなったら、
いったいどういう状態になってしまうのだろうか・・・という
持って行き場のない恐れ、不安・・・・。

6歳頃にぼくは病気で死にかけたことがあったのだけれど、
その頃にも、死ぬということについて考えたことはあったけれど、
そうした「自己意識」的に死をとらえるということではなかったようだ。
苦しみや悲しみはあったが、自己意識的な恐れは不安といった状態ではなかった。

そうした自分が自分であるという意識やその変化について考えるとき、
人間の意識、思考のありようの、歴史的変遷が描かれている
シュタイナーの『哲学の謎』(水星社)は大変参考になる。

古代ギリシア以前、古代ギリシアからキリスト教成立期、
キリスト教成立期からJ・スコトゥス・エリウゲナの時代、
つまり、実念論、唯名論、スコラ哲学、中世神秘主義の時代、
そして、デカルト、スピノザなど行こう現代につながる時代では、
人間の思考、意識のありようがずいぶん変化してきていて、
同じ「私」といっても、ずいぶん異なっているわけである。

先日、その『哲学の謎』を読み直していて、
あらためて数年前に亡くなった池田晶子が
「私」や「死」ということについて、
そうした歴史的変遷をほとんど考えていなかったことにあらためて気づいた。

池田晶子とシュタイナーを比べながら、
そうした「私」という意識などについて考察した
塚田幸三さんの『シュタイナーから読む池田晶子』(群青社/2009.10.10発行)がある。
あらためて読み直してみたが、そこらへんのことが、
禅などとの比較も含めてとりあげられているのが、
以前読んだときよりも面白く感じた。

それでふと思って、探してみたのだが、
「ニュースステーション」に、池田晶子が出演した映像を見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=ChGYZ3rcUz0

そういえば、実際に動いて話している池田晶子を見たのははじめてで、
「私」とか「死」とか「魂」とかを常に「考え」ている池田晶子と
そういう類のことをまったく考えてもみない人たちとのあいだのギャップが
ある種、自分のことのように痛々しく感じられた。
しかし、久米宏は、思った以上に軽薄である。
そうした、「考える」ことと無縁な人たちの垂れ流す情報や情動などを
売りにしているマスメディア・・・・。
池田晶子の独自の、しかし決然とした歩みに、あらためて敬意を表したいと思う。

さて、話を元に戻すと、
世界と自分が切り離されて感じられる自己意識だが、
たしかに、高校生の頃から、二十歳、三十歳、四十歳、五十歳・・・と
自分の「私」意識をたどりなおしてみると、
ずいぶん変化していることに気づく。

「個体発生は系統発生を繰り返す」ように、
ぼくの「私意識」もそういう繰り返しのなかで、
そこにあらたなものを付け加えつつ歩んでいきているように感じる。
「私」をめぐる、「私」とともに歩み冒険が続いている。