風のトポスノート774
歌がうまいということ
2010.10.21



  中島 いや、語られてないもなにも、
     自分でうまい歌手だとは思っていないもの。
     さっき言った、今よりも昔のほうが
     うまかったなっていうのは、
     今より昔がマシだったな、
     という程度の感動であって、
     上手な歌手ではないな、
     っていうのがありますから。

  糸井 歌のうまさを求められても、
     知ったこっちゃないっていう
     気持ちがあるでしょ、当然。

  中島  はい。無理です。

  糸井 そっちに行こうとも思ってないですよね。

  中島 それだったら、もうね、
     まず音楽学校に行って、
     声楽科からやり直さないとダメですよ、
     それを目指すなら。

  糸井 食べ物まで変えてとか、体操してとか。

  中島 ちゃんとやらないとですね。
     でもね、幸か不幸か、
     ボーカルトレーニングに行ったときの先生が、
     「あなたの歌い方にはものすごい癖があって、
     今の歌い方を続けると喉を潰す恐れがある、
     無理がかかるところは直しましょう。
     でも、正式な発声法に全部直したとき、
     あなたらしさって言えるかどうか
     わからないから、そこは直しません」
     って言われたんです。
     それは今からすればラッキーだったかも。
     直そうと思えば直せたんですよ、あの時点で。

  糸井 えっ、あの時点っていつ?

  中島 一度目はデビュー直前だし、
     二度目は、えーと、いつごろだっけなぁ、
     『36.5℃』とか、あのへんですかね(*)。
     で、「夜会」をやろうとしてたんですよね。
     すると、自分の音域じゃない声も
     使わなきゃ役になれないから、
     ちゃんと勉強しなきゃダメかもってんで
     習ったときですね。

(ほぼ日 「中島みゆきさんとの遊び時間」2010.10.21.より
 http://www.1101.com/miyuki2010/index.html)

中島みゆきのニューアルバム『真夜中の動物園』のリリースにあたって、
「ほぼ日」で「ダヴィンチ」と共同企画による、
中島みゆき×糸井重里の面白いトークが連載されている。

中島みゆきは、自分が「歌がうまい」とは思っていないようだ。
たしかに、ふつうよく言われる意味で「歌がうまい」という人ではない。
上記の引用にもあるような「音楽学校」の「声楽家」で学んだような声ではない。
実際、聴き方によれば、「変な声」「変な音程」で歌っているともいえる。

「歌」は「うまい」に越したことはないが、
うまければそれで「伝わる」かというとそういうものでもない。
「うまい」けれど、「その人だけの声」であるかどうかが問題だし、
なおかつそれがこちらに届くかどうかというのが重要なことだ。

JPOPを聴いていて、
歌はそれなりにうまいのだけれど、
それが誰の声なのかがよくわからない声というのは多い。
つまりは、その歌はその人が歌う必要性がないともいえる。
最終的には「歌」の評価というのは、
「好き」か「嫌い」かということになると思うのだが、
そういう場合、そういういわば「一般的な声」には、
少なくともある種の魅力を感じることがぼくにとってはまずない。
それが100万枚セールスされているアルバムだとしても、
しかもいわゆる「よくできて」いたとしても、
同じような種類の声というのは、聴く気がしない。
しかし、「売れる」というためには、
多くの場合、ある種の「脱色」や「毒抜き」などが必要にもなるのだろう。
そうでなければ、「多くの耳」は聴くことができなくなるのだろうから。

「声」というのは、そして「歌」というのは、
「その人」だけのものであってはじめて個別化した意味をもち、
しかもその個別化によってある種の普遍へと向かうことができるように思う。
つまり、最初からある種の一般化=普遍を偽装した「声」や「歌」は、
その類型化のなかでどこにもゆけなくなってしまうようにぼくには聞こえるのだ。

とはいえ、「好き」「嫌い」なので、
中島みゆきの「歌」すべてが好きかというとそういうわけでもない。
「届く歌」もあれば、「変な声」にほうにばかり意識が向かうものもある。
しかし少なくとも、「その人だけの声・歌」であり、
それが私たちの深みに降りていくことのできるものを
含んでいるように感じられることが多くある。

ところで、「声」「歌」といえば、
ぼくの好きなシンガーの一人に、パトリシア・カースがいる。
(あるアルバムでは、中島みゆきの曲を歌っていたりもしている)
以前は、日本でもリリースされたりコンサートがあったりもしたが、
いつのまにか日本でアルバムがリリースされなくなってしまった。
あるとき、おかしいなと思ってネットで調べてみたところ、
日本ででていないだけで、フランスではちゃんとでていた。
今も、ちょうど「Kabaret」という昨年リリースされた2枚組のアルバムを
聴いているのだけれど、それはそれはすばらしい。
CDセールスの問題があって、一度セールスが不良に終わってしまうと
日本でリリースされるマーケットに乗らなくなってしまうのだろうけれど、
ちょっと残念ではある。
・・・しかし、そんなに売れないのだろうか、パトリシア・カース。
まあ、今ではこうしてネットで情報も入手できるし購入もできるのではあるが。