風のトポスノート764
スパイになる
2010.9.16

 

 

   世の中にハウツーものの本は数限りなくあるが、スパイになる方法を、
  読者の適性検査から始めて、退職後の生活設計に至るまで、豊富な体験に
  もとづき、懇切丁寧に、しかもほろ苦いユーモアをまじえて解説したもの
  は本書をもって初めてとする。しかも、著者は、CIA、KGBと並び世
  界最強の諜報機関といわれるイスラエル情報部モサドの花形部員だった
  “シャンペン・スパイ”ことウォルフガング・ロッツである。
  (ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』
   ハヤカワノンフィクション文庫/訳者(朝河伸英)あとがきより/P.205)

スパイというのは、
おそらくぼくにもっとも向いていない職業のひとつである。
ぼくの性格を知る人ならおそらくだれでも深く肯くに違いない。
スパイにかぎらず、隠密だとか忍者だとかいうのもまったくできそうもない。
性格が単純すぎて、面倒さの何乗にもなりそうなことは不可能なのだ。

ぼくは、自身、公務員、銀行員、教職員にはなれないと思っているが、
たとえそういう職業にたまたまつくことになったとしても、
スパイにくらべれば可能性としてはないわけではない。

しかし、自分に向いていない職業を考えてみると、
あれもむいていない、これも向いていない・・・と
結局、自分はいったい何に向いているのかいまだよくわからないでいる。

実際のところ、ぼくの職業は、
たまたま、という要素と消去法によって選ばれたにすぎないように感じている。
選んだといえるほど主体的な職業選択ではない。
職業を意味するドイツ語などは「召命」という意味でもあるのだけれど、
そんなだいそれた意味をぼくのついている職業に付加することはできないだろう。

とはいえ、自分の職業を卑下しているわけでない。
無論、誇っているわけでもないのだが、
それにはそれなりの必然性のようなものはあったのかもしれないとも思うし、
ぼくのいちばんできそうもない部分が希薄だということは少なくともいえそうだ。

で、なぜスパイが語るスパイ入の本を読んでみたりもするのかだが、
(ここからが本題になるのだけれど)
自分がもっとも向いていないと思えるものこそが、
ぼくをもっとも補完してくれる可能性を秘めているかもしれないからだ。
そういう意味では、公務員、銀行員、教職員などなど、
ぼくの苦手そうな職業に関するものにふれることこそが、
ぼくを成長させてくれるものだともいえることになる。
実際、仕事で公務員関係の仕事に関わることも多いし、
教育関係のものや金融関係のものも、否応なく目にせざるをえない。
そして、ある意味ではそういう要素が
ぼくをある種バランスさせてくれているのかもしれない。
そうでなければ、ほとんど隠遁して生きかねないところがある。

ぼくという魂は自分の思っているよりもずっとずっとちっぽけで、
許容できる範囲というのは、ほんのわずかにすぎない。
だから、少々守備範囲を広げたところで、たいしたことはないともいえるが、
年をそこそこ重ねてきて思うのは、
可能な範囲で目をむけることのできる部分を増やすことのできる
わずかばかりの余裕ができてきたのかもしれないということである。
野球ひとつ関心を増やしただけで、(時間の不毛さというのはたしかにあるが)
それはそれでそれにまつわるさまざまな世界や人間模様から学ぶことができる。

とはいえ、人はある種の「こだわり」があるがゆえに
小さくとも自分という魂を成立させてもいけるわけで、
若いころから何にでもこだわりなく・・・ということは必ずしもプラスだとはいいきれない。
そこらへんがむずかしいところなのだが、
少なくとも、ある程度年をとってくれば、
自分の馬鹿をごまかすための頑固さにしがみつくのではなく、
少しは開かれた態度になっていければ、と思っている。

そういう意味で、スパイについて知ることもまた
それなりに自分の影の部分に目を向けてみるためのきっかけになる可能性を秘めている。
「どんなことからも学ぶことができる」ということさえ忘れなければ、
前に向かって進むことができるのだ。
そしてそこに楽しさを見いだすことができれば、それに越したことはない。