風のトポスノート755
ペーパーロードの行く末
2010.8.4

   東西の交通路はシルクロードと言われるのがふつうである。リヒトホーフェンの
  著書のなかに出てくるのが、最も古い例だといわれる。だから十九世紀後半という
  ことになるが、それも「いわゆる絹の道は」という言い方をしているから、彼のつ
  くり出したことばではないようだ。いつ、誰によって、どこでとも知れず、ニック
  ネームのように使われたのであろう。西方の人にとっては、原材料不明の織物シル
  クは、ロマンに満ちたもので、それが通った道ーーシルクロードーーと名づけるの
  は絶妙のネーミングであろう。
   だが、あまりに絶妙すぎて、この道を通ってはこばれた、ほかのもろもろのもの
  が、光を失ったのはやむをえないかもしれない。
   この道を通った最も重要なものは、シルクのような形のあるものではなく、人間
  の内奥にかかわるもの、思想あるいは信仰と呼ばれるものかもしれない。ここは思
  想の道、あるいは信仰の道でもあった。最もみごとに伝来したものを挙げるとすれ
  ば、仏教ということになるだろう。
   思想あるいは信仰は、いろんな方法で伝えられるが、一般には「ことば」による
  のがふつうである。ことばを記録するのは文字であり、古くは竹簡や木簡が用いら
  れ、今では紙が最もポピュラーなのだ。紙はシルクとおなじで、中国で考案され、
  製法は最初極秘とされた点でも似ている。ただ紙はシルクとちがって、いかにもじ
  みであり、通った道を誰もペーパーロードとは呼んでくれなかった。おそらく量的
  にも、ずいぶん差があったのにちがいない。
  (陳舜臣『紙の道』集英社文庫/1997.1.25発行/P.292-293)

電子書籍が話題になっている。
個人的にいえば、いちおうどんな具合かだけは知っておこうというくらいで、
日常的に使おうという気には今のところならない。

レコード、カセットテープ、CDについていえば、
電子データで利用できるないものも現状ではあるとしても。
すでに電子データのほうを中心に使っているし、
すでにパソコンを中心にして電子データでさまざまなものを読む習慣は
それなりに持つようになっていることは否定できないが、
現在は「紙の本」でしか読めない範囲がどの程度電子データ化され得るのかというところと
「紙の本」を読んできた習慣的な部分以外に、その機能的な部分においても
現在の電子書籍はやはりまだまださまざまな課題をもっているように見える。

しかし、最初は、文字を記した本そのものが
ある種悪魔的なものでもあったところがあったわけで、
その最初の衝撃に比べれば、紙の本から電子データへの移行というのは、
そこまでの変化ではないといえるのかもしれない。
実際、音楽を聴くにしても、たしかに驚くほど便利に
さまざまな音楽を簡単に手軽に聴けるようになってはいるけれど、
その核にある受容する質の部分でいえば、変化はたいしたものではないともいえる。

そういう意味では、電子データになったからといって、
文字データだけではなく、そこに映像データをはじめさまざまものを
リンクさせることができるようになったからといって、
そして世界のどこにいても、そうしたデータを享受できるようになったからといって、
そこに盛られている内容そのものが抜本的に変化するわけではないのだ、いまのところ。

電子書籍が話題になっているというのもあって、
あえて、「紙の道」についての本を読んでみたりもしているのだけれど、
かつてはシルクロードという道を通って「仏教」が伝来したように、
インターネットや電子の世界の「ロード」によって
いったい何が「伝来」するのかということのほうをこれからは見ていければと思っている。

あえていうまでもないことではあるけれど、インターネットの世界、電子の世界というのが
変化をもたらすのは、そこに盛られる「コンテンツ」ではなくて、
それらがどのように「伝えられるか」という、まさに「ネットワーキング」によるものである。
そしてそういうコミュニケーション形態の変化によって、いったい何が変わっていくのか。

変わらないもの。
変わっていくもの。
変わっていくように見えて実はそうではないもの。
変わらないように見えて実は変わっていくもの。
そうしたものに注意深く視線を向けていくことができればと思っている。
だれでも使える、情報を得る可能性があるといっても
使いこなせる、必要な情報を活用できるとはかぎらないし
そうしたことによって生じてくるさまざまな問題もそこにはあるはずだからである。