風のトポスノート752
イマココ
2010.6.17

   私たちの生活形態が、現実の空間を「外」から眺め、それについて考え、
  目的に合わせてつくりかえる能力によってできあがったことはまちがいない。
  私たちはテクノロジーを利用して、世界を自分たちを都合のいいように改造
  してきた。そして私たちがテクノロジーに適応することができるのは、人間
  の脳が他の動物とはちがった方法で空間を認識できるおかげである。
   しかし同時に、頭の中で実際の世界を外から眺められるというこの能力の
  せいで、世界から人間だけが切り離されるという悲しい現象も起こっている。
  ここには人間の本質に関する、また別のパラドックスを説明するヒントが隠
  されているかもしれない。つまり、何かを理解したり創造したりといったす
  ばらしいことをできる頭を持つ人間が、なぜ自分たちや子供たちの未来、さ
  らにはこの地球の未来を危うくするような破壊的行為に手を染めるのだろう
  という疑問へのヒントだ。
   人間独特の空間認知のしくみを解明することが、こうした難問にとりくむ
  うえで助けになると私は信じている。私たちと空間の関わり方を考えなおし
  てみることで、人間の行動が地球にどんな影響を与えているかが、今よりも
  よくわかるようになるだろう。そして空間を支配するのに使ったのと同じテ
  クノロジーによって、人間と環境とのつあがりの一部をとりもどすことがで
  きるはずだ。
   人間の未来に立ちはだかる問題は、テクノロジーにあるのではない、私た
  ちの頭の中にある。こう正しく認識することが、これまで以上に重要になっ
  ている。そして時間と空間の中を未来に向かって前進するためには、何より
  も次のことを理解しなければならないーー私たちは何者なのか? 私たちは
  今、どこにいるのか?
  (コリン・エラード
   『イマココ/渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』
   早川書房/2010.4.25.発行 P.17-18)

川上未映子のエッセイ集に、
『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』というのがある。
「世界がすこんと入」るほどに、確かに「頭はでかい」・・・と
妙にこのタイトルに感心したことがある。
そしてハムレットの台詞とも似ているなと思った。
「胡桃の殻に閉じ込められても無限の宇宙の王だと思える」云々という台詞である。

おそらく、ほんとうに「いまここ」にいることができるとしたら、
ある意味「無限の宇宙の王」であるということもできるはずである。

そんなことをつらつらと考えながら、
自分はいったい「どこ」にいるのだろうと目眩にも似た感覚が襲う。
「ここ」にいるということはいったいどういうことなのだろうと。
もちろんそれは同時に、
「いま」というのはいったいいつなのだろうということでもある。

私たちは、朝家を出て会社に着いたりもするように
歩いたり乗り物にのったりしながら空間を移動する。
朝起きて昼を忙しく過ごしそして夜になる・・・というように
「久しくとどまりたるためし」のない一方方向の時間を生きている。
しかしそれらの時間と空間のなかにいる自分をふとふりかえってみると
それがいったいどういうことなのかわからなくなるときはないだろうか。

しかしそうしてふりかえってみることができるということは
そうした時間と空間から切り離されている部分があるということのようにも思える。
私は、肉体をもって生きて動いている自分に意識を向けることができる。
しかもこうして考えている自分の意識そのものにメタ意識を向けることもできる。
まるでシミュレーションゲームの登場人物の一人に自分がなっていて
その登場人物を自分が観察しているという感覚である。

そのときの自分というのはいったいどこにいるのだろう。
もちろん自分だけではなく自分の周囲にいる人たちもそうだし
外的な環境も同様である。
それらはいったい「どこ」にいる/あるのだろう。
そのときぼくは普通の物理的な「座標軸」を持つことができないまま浮遊してしまう。
「世界がすこんと入」る「でかい」「頭」はいったいどこを浮遊しているのか。