風のトポスノート725
神々の内面化
2010.1.3

 

 

   人間は神々の生活に近づきつつあるのかも知れない。このことを言いかえると、
  人間がその内包する意味を明確に知ることなく行為してきた神々に対する多くの
  儀式を廃すると共に、その儀式のもつ意味を明確に意識化することを必要とし、
  また可能とする時代が訪れてきた、ということができる。この意識化の努力を怠
  り、単に神々の存在を否定したり、儀式を廃したりするときは、人間は家庭内で、
  人間のレベルを超えた憎しみや怒りを体験しなくてはならないのである。これは、
  言ってみれば、科学によって否定されようとした神々の反撃としても理解するこ
  とができるであろう。
  (河合隼雄『生と死の接点』岩波現代文庫/P.89)

かつて人間が神々の姿として見ていたものが
私たち人間の魂の働きとして内面化している。
従って、神々の姿として現れていたときには儀式という形でそれに対していたものを
こんどは、私たちは自らの魂に問いかける仕方で対していかなくてはならない。

そういえば、「魂」という字には、「鬼」という字が使われている。
「云」というのは雲のもとの形だということである。
孔子は鬼神を語らずといったが、
語る必要はないかもしれないのは、
それが私たちに内在化したからということもあるのかもしれない。

「神は見ておる」というのも、
無意識、潜在意識であることもあるとしても、
私たちは自分をしっかり見ているということなのだろう。
その意味で、私たちは魂において自己責任があるということになる。

釈迦は八省(正)道を説いたが、
それは、私たちが内在化した神々を、つまりは鬼に対して
しっかりと制御する力を身につけなければならないということなのだろう。

「神々の反撃」というのは、
私たちは私たち自身に対して
意識的になることがますます必要になってくるということである。
意識的であり、かつ自己制御する力を身につけることによって、
鬼たちを変容させることができる。

三番叟で、黒色尉の翁に千歳が鈴を渡し舞を舞ってもらい
国家安泰・貴人長命を祈念するというのを、現代的にいうならば、
自分の内なるディオニュソス的な翁、黒色尉の翁を意識化し、
八省道による制御を行うことで
自らを正しく進化させる方向に導くということになろうか。
千歳の渡す鈴は仏教(密教)の法具を象徴しているそうだから
その鈴というのが鍵になるともいえそうである。

神々について、鬼たちについてよりよく知るためには、
神話について学ぶことが大変参考になる。
神話が私たちの内なる「元型」(アーキタイプ)になっているからだ。
その点でも、精神分析、特にユングの示唆は大変参考になる。
神話については、ユングとも関係の深い、
ケレーニイやジョーゼフ・キャンベルの著作が興味深い。
もちろん、日本神話や日本の昔話については
いうまでもなく河合隼雄が私たちにとって切実な示唆を数多く行っている。
『昔話の真相』『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』は必読である。