風のトポスノート712
日食の日に
2009.7.22

 

 

46年ぶりといわれる日食の日。
あいにくの曇り空だったので、
少しだけネットで太陽が月に隠されていくのを見る。

昨日は衆議院が解散。
少し前には、臓器移植法が改正され、
書店では1Q84が売れ、
日本ハムは前半戦を首位で折り返す。

日本ハムはともかくとして、
世はどこかざわざわと不安に満ちている。
世の中の経済状態がよくならないことは、
人の心のなかにもさまざまな影を落としている。
世の中は、やはりその多くはお金で動いているということだろう。
臓器移植法も、結局のところお金の問題に帰着するのではないか。
お金があれば、臓器が買えるようになったということ。
『闇の子供たち』という臓器売買をテーマにした映画があるが、
これも売れるものは何でも商売になるということ。

そして、お金が世の中を「闇」のほうに
動かしてしまう大きな原因のひとつは、
やはり「死」への恐れがあるはずである。
死にたくない、死なせたくない、
方法があるなら、手段を問わない。
死なない人はいないが、
その「死」に直面することは、
自分も近しい人もできるだけ避けたい。

しかし、「死」を直視することなくして
「生」はその本来として成立しない。
人は生まれたから死に、
そして、死ぬことによって、新たな生へと向かう。
やはり、神秘学の基本のところが
きちんと認識されないかぎり、
「死」への恐れからくるさまざまなことが
なくなることはないのだろう。

とはいえ、死んでもあの世があってまた生まれ変わってくる、
ということが、あまりに稚拙に語られたり、
それを背景にして稚拙な宗教団体の組織が拡大したりすることは、
唯物論的な傾斜を薄めるある種の対症療法にはなるとしても、
それに対してそのうち起こるであろう副作用のことを想定するならば、
やはり、本質的なところでの「療法」が不可欠になるのは間違いない。

先日、ほんとうに久しぶりにキリスト者共同体のサイトで
新刊案内を見てみたところ、興味深いものがたくさんでていたので、
早速、以下のものに目を通してみて、
人智学とキリスト認識について、深い感銘を受けた。

◎ルナード・リーヴァフッド「「境域に立つ |  現代人の危機と人智学」
◎ルナード・リーヴァフッド「境域に立つ ||  シュタイナー精神医学への道」
◎ハンス=ヴェルナー・シュレーダー「地球とキリスト1・クリスマスの秘密」
◎ハンス=ヴェルナー・シュレーダー「地球とキリスト2・イースターの秘密」
◎ハンス=ヴェルナー・シュレーダー「祈り-修練と経験」
◎ルドルフ・シュタイナー「主の祈り-ひとつの秘教的考察」

やはり、現在のところ、日本では、このキリスト者共同体のありようが、
その「共同体」そのものに属したいというのとは違うにしても、
もっともぼく自身のもっとも深いところにまで届くところがある。
実際のところ、この流れが大きく広がることは現状ではむずかしいだろうが、
ぼくのなかに蒔かれ成長しようとしているものが
どんなに小さな「種」だとしても、
そしてそれが「芥子種」にさえ遠く及ばないとしても、
自分のなかでもっとも「良い地の上」を選びたいものだと思っている。