風のトポスノート707
和と中
2009.6.30

 

 

   この国には太古の昔から異質なものや対立するものを調和させるという、
  いわばダイナミックな運動体としての和があった。この本来の和からすれ
  ば、このような現代の生活の片隅に追いやられてしまっている和服や和食
  や和室などはほんとうの和とはいえない。たしかにそれは本来の和が生み
  出した産物にはちがいないが、不幸なことに近代以降、固定され、偶像と
  あがめられた和の化石であり、残骸にすぎないということになる。
  (・・・)
   日本人は明治時代以降、近代化(西洋化)に夢中のあまり、異質なもの
  同士の調和という、本来の和の姿を失ってしまった。そして、万事におい
  て同質のもの同士が馴れ合っているのを和と勘違いするようになってしま
  ったということである。赤には赤系統の色でないと合わないと考える。俳
  句では似たもの同士を取り合わせる。人間関係においても考え方が同じで
  なければ友だちにはなれないと考えている。
  (長谷川櫂『和の思想』
   第二章「運動体としての和」第三章「異質の共存」
   中公新書 2009.6.25.発行  P.45/P.79-80)

俳人でもある長谷川櫂の『和の思想』では、
「和」を「運動体」、そして「異質のものを共存させる力」としてとらえている。
「洋」に対する「和」というような固定的な視点ではとらえられない
「和」のダイナミクスとでもいったものがわかりやすく述べられていて面白く読んだ。

本書のなかで、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』から
谷崎の西洋への憧憬と日本への郷愁から、家屋などにおいても、
日本的なものと西洋的なものの分裂に
深いジレンマを感じているところが紹介されていた。
しかし、そこでの「日本への郷愁」というのは、
著者の言葉を借りれば「古き日本の残骸のようなもの」だともいえる。

そこでの「和」は決して「運動」することも、
「異質なものを共存」させることもできないでいる「残骸」でしかないのである。
もちろん、古き良き「和」的なものがあるのは確かだが、
それが「残骸」にしがみつく形でしか継承されないのだとしたら、
それはもはや、本来の意味での「和」のダイナミクスを失ってしまっている。

固定化された「和」は日本の近代化とともに生まれた。
洋服に対して、着物が和服になったように、
洋菓子に対して、和菓子と呼ばれるようになったように、
「洋」に対して、江戸時代以前から日本にあったものが
「和」「和風」と呼ばれるようになったのである。
江戸時代以前ではどうかというと、
異国渡来のもののほうを「南蛮○○」というふうに呼んでいた。

さて、「運動体」としての「和」、
「異質のものを共存させる力」としての「和」は、
「中」のダイナミクスにとてもよく似ている。

「中」は、極端なものを排する力でもあり、
矛盾するもの同士を統合する力でもあった。
それは静的固定的なものではありえない。

実際、すべてのものは生成変化のプロセスにあって、
静的固定的なものはありえないわけだけれど、
どうしてもある種の権威や固定観念は、
なにかを変わらないものだと見なしてしまいやすい。

「和」が固定化されてしまっているところがあるのも同様である。
人は自由であることに耐えられないように
ある意味、変化そのものである「中」を見たくなかったりするところがある。
もちろん、変化すればそれでいい、異質なものが形だけでもいっしょにいれば
それでいいということではなくて、
そこには、より高次の意味での統合原理が必要となる。
それが「和」であり「中」ということにほかならない。