風のトポスノート696
ドリーミングに対する自覚
2009.3.18

 

 

  アボリジニーの考え方によれば、ドリーミングは物質世界の基盤である。
 ドリーミングが対象に、あなたの注意を引いたり、はね返したりするエネル
 ギーを与えるのである。ドリーミングを無視することは、物質世界の価値を
 引き下げることにもなる。その基盤を無視し、人生の半分を見逃すことにな
 るからだ。
  ドリーミングの力はまさに今ここに、日常的な世界の背景に、すべての対
 象の一部として、あなたがときどき注意を払うことを忘れてしまう部分とし
 て、存在している。アボリジニーの観点によれば、月の明るい部分である日
 常的現実を、月の暗い部分、すなわちドリーミングの力と分かつことはでき
 ない。
 (中略)
  私の目的は、ドリーミングにときどき気づくことではなく、ドリーミング
 に対する自覚を常に保つことである。私が<24時間の明晰夢>と呼ぶ新し
 い方法によって、私たちは日常的な世界の背景を学んで、癒し、予知、永遠
 性を探究していく。
 (中略)
  複雑な問題をあまりにも簡略化して捉えるのは愚かなことだが、ドリーミ
 ングの視点からすれば、人生の複雑さにもかかわらず、実はたったひとつの
 問題しかない。それは現実の背景にあるドリーミングを無視してしまうこと
 だ。ドリーミングを無視することは、日常生活におけるあなたの行動を生み
 出している、明確に捉えがたい最も深い経験を(自覚の外部へ)周縁化する
 ことを意味する。センシェント、すなわち一般的には認識されない夢のよう
 な知覚を無視するときはいつも、あなたは内なる何かを軽く麻痺させている。
 人生の原動力、大いなる潜在力を見逃しているのだ。
 (アーノルド・ミンデル『24時間の明晰夢』春秋社/P.6-8)

15年ほどまえにめるくまーるからでていて、とても印象に残っていた
ブルース・チャトウィンの『ソングライン』が新訳(同じ北田絵里子訳)で
英治出版からでているのを懐かしく読んでいる。

「ソングライン」とは・・・。

  オーストラリア全土に迷路のように延びる、目に見えない道筋“ソングラ
 イン”。それはドリームタイムと呼ばれる神話の時代に、この大陸を旅した
 アボリジニの先祖がたどった足跡である。先祖たちは、その道々で出くわし
 たあらゆるものの名前を歌いながら、それらすべてに命を与え、世界を創造
 していった。この独特な世界観は、先祖の物語を表す歌とともに受け継がれ、
 いまもアボリジニの精神生活の基礎をなしている。(「訳者あとがき」より)

ひょっとしたら「枕詞」というのも
そうした歌による世界創造の名残ではないかと
想像してみたりもするのだけれど、
そうした「ソングライン」を
アボリジニだけの独特な世界観だとするのではなく、
またそうした神話の時代の方法をそのまま援用するというのでもなく、
そこから、私たちが日々生きていくなかで
失ってしまっていることの多い部分に気づき、
それを補完していくための示唆として
ミンデルのいう「ドリーミング」に対する自覚というのは
とても大切な視点だと思い、『ソングライン』をきっかけにして
久しぶりにミンデルを引いてみようと思った。

私たちは日々ほとんど半ば麻痺状態で生きているともいえる。
なぜ自分がそうしているのかについて、
あえて問われればそれなりの答えはできるときもあるだろうが、
実際のところ、ほとんど知らないでいる。

ほとんど慣習化されていることがルーティーン化して
あえてそれが問われることがないのはもちろんだし、
(さまざまな儀式や世の中で「そういうものだ」とされているものなど)
日々の日常的な行動においても、
無意識的にとってしまう行動というのは思いのほか多い。
自分だけの行動もそうだし、対人的な行動も同様である。

しかしおそらく私たちの行動の多くは
自分でもよく気づいていない理由や源泉から出ていることが多いのだろう。
それに気づかないかぎり、私たちは「月の暗い部分」を照らすことはできず、
実際はそこから大きな影響を受けていることに気づけないまま、
起きていながら眠っている状態を続けることになる。

別に起きていながら眠っているだけでもそれはそれでいいのだけれど、
多くの場合、それを覚醒させるべくさまざまなことが起こってきたりもする。
さまざまな事件や病気やトラブルなどなど。
たとえば身近でよく見かける花粉症などで苦しんでいる人を見ても、
その人たちに共通したある種の「眠り」の部分に気づくことができたりする。
しかし本人はその「月の暗い部分」について気づけないでいるだろうし、
指摘されたとしても本人がそれを認めることは少ないだろう。
そして病院に通い、マスクをし、口々に「今日は花粉が多い」と言ったりする。

 ドリーミングは宇宙と同じように「それ自身」を表現する手段を持っている
 のである。(…)「それ」は大地に衝突して私たちが忘れることのないクレ
 ーターを創り出す夢や隕石として現れる。そして、「それ」は海に波を作り
 出す重力あるいは人生の波として現れる。ドリーミングや重力を見ることは
 できないが、その影響を感じとることはできる。
 (ミンデル『プロセス指向のドリームワーク』春秋社/P.227-228)

何かトラブルなどが起こったときに、
外的ななにかわかりやすいところにその原因を追及するのではなく、
自分が気づけていない何かがあるのではないか。
それがこの「隕石」として降ってきたのではないか。
そういうふうにとらえ、
自分の自覚の外に周縁化されやすいなにかに
気づくきっかけにできるのではないか。

・・・とはいえ、この作業を24時間どころか、
起きているときにちゃんとしていくのも難しいかぎりだけれど、
少なくともおりにふれて、自分は眠っているのではないか・・・
とか意識化してみることは必要ではないだろうか。
でないと、いつも「隕石」が降っている状態のなかで
フラストレーションばかりをつのらせることにもなりかねない。