風のトポスノート687

 

プレゼンテーションの時代が、終わる


2009.1.21

 

ほぼ日の「今日のダーリン」に、ちょっと驚いて、
そしてとても納得のいくメッセージがあった。
「プレゼンテーション」についてのもの。

いつも感じていたけれど
仕事上、慣習のようになっていて
コトバにだせないでいたことがコトバになっていて
なんだかとても気持ちがよくなった。

(ほぼ日「今日のダーリン」2009.1.20.TEU)より

 ・「プレゼンテーションの時代が、終わるんだよ」
  と、ある打ち合わせ中に、ぼくは言いました。
 
  「プレゼンテーション」の技術だとか、
  「プレゼンテーション」が大事なんだとか、
  とにかく、この20年くらいは、
  この言葉を中心にさまざまな会社の仕事が
  あったような気さえします。

 (・・・) 

  「ダメ」は、簡単にわかります。
  うまく「プレゼンテーション」できればダメにならない、
  なんてことは、あっちゃいけないんです。
  そういうことを、ぼくが思っているから、
  「ほぼ日」のみんなは「プレゼンテーション」下手です。
 
  しかし、そのほうが見えるものが多いんだと、
  多くの人たちが、理解してくれるようになる‥‥んです。
  そういう人たちの仕事の仕方が、当たり前になるんです。
  ぼくはそう思っているので、つい、そう言いました。 

「プレゼンテーション」に関する本というのはたくさんあって、
仕事の関係上、目を通すこともあるのだけれど、
それが、なるほど役に立ったと思えたことはまずないと思う。
できることはすでにやっているし、
それ以外は、面倒というかわざとらしいし意味がないので無視している。

大事なのは、プレゼンテーションをどうするか、というよりは、
内容というかプランというかそっちのほうで、
それが誤解されて伝わったりせず、
ある程度きちんと伝わればそれでいいのだと思っている。
もちろん、内容がきちんと検討されていて、
それをうまく伝えるための技法がきちんとあれば
それに越したことはない。
しかし、プレゼンテーションの技法などのほうが優先されるとしたら
やはり本末転倒ではないかと、あたりまえのことだけれど、そう思う。

ぼくも、毎週何回かは
仕事でプレゼンテーションする機会があるけれど、
プレゼンテーションの仕方のほうはそんなに工夫するほうではない。
そうした準備のほうにあまり時間をとられたくないというのと
説明したい内容をある程度きちんと伝えることさえできれば
それでいいと思っているからである。

文章や音楽などについても、
見せ方、聞かせ方のほうにばかり重点がいっているものよりも
やはり、内容のほうがちゃんとあるほうがいいわけで、
そういう方向でいかないと、どんどん質が下がってくるのは目に見えている。

ホームページなんかにしても、
いくらトップページが格好良かったり、
デザインがすごかったりしたとしても、
内容がなければやはりつまんないというのは
これは、だれにでもわかることだと思う。

もちろん、程度問題ではあって、
ファッションにまったく気を配らないように、
プレゼンテーションの仕方をまったく気にしないわけにわいかないけれど、
高いブランド品を身につければそれでいいわけではないし、
知的に見えるメガネをかけても知的になるわけはなく、
むしろそのミスマッチがあわれにさえ見えてしまうように、
内容に応じた適切な見せ方であれば、それでいいんじゃないか、と思うのだ。

それで、「プレゼンテーションの時代が、終わる 」
というか、プレゼンテーションのほうばかり重視する時代が、終わる、
というのは、とてもほっとするメッセージだったので、コメントしてみた次第。