風のトポスノート613

 

世界の結び目と世界の拡張


2007.3.18.

 

   手を繋いで居て
   悲しみで一杯の情景を握り返して
   この結び目で世界を護るのさ
   (…)
   殺めないでと
   憎しみで一杯の光景を睨み返して
   その塊を果敢に解くのさ
   (…)
   手を繋いで居て
   喜びで一杯の球体を探り直して
   この結び目が世界に溢れたら
   ただ同じときに遇えた幸運を繋ぎたいだけ
   この結び目で世界を護るのさ
   未来を造るのさ
   (椎名林檎『夢のあと』より)

*以下の内容は、上記の歌詞とは直接関係しないものの、
このテーマを考えるきっかけになったので挙げておいた次第。

自分と世界の結び目にはさまざまなかたちがある。
そしてその多くは、快・不快の感情の織りなす結び目である。
喜び、悲しみ、苦しみ・・・。
人は、快をたぐり寄せ、不快を遠ざけようとする。
つまり、快と不快の世界へとみずからを投げ込んでしまうのである。
快だけ、不快だけということはない。

そんななかでどうやって生きていけばいいのだろうか。
これまでその問いを何度くり返してきたことだろう。
ときには喜びに満たされながら、それを失うことをおそれ、
ときには苦しみに顔を歪めながら、早く去って欲しいと願い・・・。

調和すればいいのだろうか。
では、調和するにはどうすればいい。
調和しない要素を極力排除して安定を保つという方法がある。
世界は円満である。
円満でない要素はそこから排されるのだから。
その世界を守るための結び目を張り巡らせていれば、それで安心。

しかし、そこから排されたものはいったいどこに行けばいいのだろうか。
結ばれた結界から入れないものの行方は。

人は脱皮をくり返していかねばならないのではないか。
調和という小さな卵をときにみずからが壊すことで。
不快をあえて選び取ることで、結界の結び目をほどいて。
未来をつくるということがそこからはじまる。

卵を壊すことは、大きな恐れを伴う。
それまで小さいながらも安らいでいた世界を壊すのだから。
それはある意味で、「他者」の招来でもある。
それまでまったく自分の世界になかった「他者」を招き入れるのである。
レヴィナスのいう「他者」のような、とほうもないものを。

そこからは、苦闘が始まる。
結び目が解かれるたびにどれほどの苦痛が襲うことか。
しかしその苦痛は同時に、小さな結晶ゆえの退化からの解放でもある。
そしてその解放の際には、凝縮された感情のエネルギーが
爆発的に発されることにもなるだろう。
それまでほそぼそとしか発することのなかった魂の声が、
叫びとなってその稲光を炸裂させる。
その爆発によって、小さな卵を形成していた結び目が拡張し、
排されていたものが取り込まれ、あらたな卵を形成する。

そこには、それまで憎まざるをえなかったもの、
嫉妬せざるをえなかったもの、悲しみを避け得なかったもの、
問いをさけてきたもの、知ることをおそれていたもの、
そんなさまざまな「他者」が内へと向かい、
わたしの卵のなかでその変容した器官へと変容することになる。

新たな世界がそこに誕生する。
死と再生のように。