風のトポスノート608

 

体験の種としての詩


2007.2.19

 

   詩とか詩人とかいうと、浮世離れしたイメージを抱く人が多いだろう。だが、
  本来はそうではない。詩ほど現実に直結し、現実から養分を吸い上げて別のか
  たちに花開かせる力を持つものはない。日本語では、詩人という語は、気障か
  つ滑稽なニュアンスで使われがちだ。けれども、詩を書く人間たちは、必ずし
  も花鳥風月を愛でて眠りこんでいるわけではなく、自分の感情を吐露するため
  にだけ書いているわけでもない。言葉の手を握って、引いて、普段の場所から
  連れ出し、新しいものの見方を示すもの、それが詩だ。
  (…)
   わかる、わからない、という議論を重ねれば袋小路へ入ってしまうが、平易
  な言葉で書かれたものを見て、ときどき思う。これではポップス(の歌詞)に
  負けている、と。文章でも短歌でも俳句でも音楽でもなくて、詩の言語にでき
  ることは、なんだろうか、と考える。そして、皮肉なことに、そうしたぎりぎ
  りの境域に立ちつづけ、考えることそのものが詩だ。
   わからないという反応は、正解を求めるから出てくるものなのだろう。私は
  こう考える。つまり、詩を読むときに生まれるのは「答え」ではなく「体験」
  なのだ、と。読み手それぞれが言葉の内側へ入りこみ、なにか体験できればそ
  れでいい。作者の側からの一方通行の正解はない。詩は体験の種なのだ。
   石原吉郎の詩「橋」の書き出しはこうだ。「沈黙は詩へわたす/橋のながさ
  だ/そののちしばらくの/あゆみがある」(『続・石原吉郎詩集』思潮社)。
  その沈黙は、人類の祖先が言語を獲得する以前の、がらんと暗い沈黙にさえ繋
  がる。この世はどう表わしたらいいのかわからないことだらけだ。そこから詩
  は立ち上がり、歩み出す。
   (蜂飼耳『空を引き寄せる石』2007.1.20.発行/P.100-101)

詩の言葉を書けたらと思うが、いまだに書けたことがない。
体験そのものになって「立ち上がり、歩み出す」ような言葉。
わかりやすいとかわかりにくいとか、そういうのではない、
言葉そのものが、どこか新しい場所になっている、そんな言葉。

だから、「詩人」とその「言葉」に出会えるというのは、稀有な体験になる。
この蜂飼耳の『空を引き寄せる石』はエッセイ集だが、
そこにはこれまで出会ったことのない言葉がつまっている。
ひとつひとつの短めの文章が、詩へとつながっているように感じ、
その『食うものは食われる夜』(思潮社)という詩集もあわせ読みながら、
久々、新しい言葉の体験を得たように思ってどきどきしている。

この引用で挙げられている石原吉郎。
その名前をこのところまったく別の文脈で何度か目にする機会があった。
これはなにかのサインである、というふうに思うことにしている。
詩人の名前は知らぬでもなく、その作品を目にしたこともあったものの、
その言葉にぶつかってみた体験はそういえば持っていなかった。
おそらくぼくのなかでまだ日本語という言語が
石原吉郎の言葉に応じることができるほど成熟していなかったのだろう。
今読む石原吉郎の言葉は、言葉そのものが体験になって歩み出しているのがわかる。

ぼくのなかで気長に蒔かれていた言葉の種のあるものが、
こうして、あるときに急に育ってくる。
そんな体験を得ることができるのは、得難い幸福である。
種を蒔かなければ、出会うことはできない体験である。
しかしそれは長い時間を必要とする。

わからないものにたいしてどんどん鈍感になっている人が増えているようだ。
わからないからわかろうとするのでも、稚拙に反発するのでもなく、
わからないものは世界に存在しないように反応してしまうという話もきく。
自分があまりにも完結してしまっていて、
そこに何の種もまかれることがないものだから、
そこからどんな変容も導き出すことができなくなっているのだ。
だから、そこにある「言葉」は「種」として蒔かれたとしても、
肥沃な大地に蒔かれたのとは違って、ただ砂漠の熱の前で死んでしまうだけになる。

言葉は無力である。
しかし、その言葉はその言葉がでてくる前の沈黙のなかから、
ときに辛抱強く、辛抱強くその芽を出してくるときに、
詩となって歩きだすこともできるのではないだろうか。
そんな詩の言葉を生きているうちに一度でも育てることができたとしたら、
この生もまんざら捨てたものではないのかもしれない。
その言葉がまた沈黙へと帰っていくのだとしても。