風のトポスノート585

 

新たな文化の“OS”を探して


2006.8.31

 

 いま私たちは、次の時代の共通感覚を表現する、新たな文化の“OS”を
探し求めている。
 「エコ」とか「自然保護」とかいった旧時代的なキーワードは、それが見
つからないゆえに妥協的にパッチワークしているだけの途上の言語であり、
若い世代は、まだ本当に表現する言葉をもたないこうした意識のとりあえず
の着床点を、植樹や園芸や諸々のセラピー行為のなかに本能的に見出そうと
している。
 だが、人類の精神史において、木は決して単に“保護すべき”ものでも、
薬や工芸素材として物質的に利用するだけのものでもなかった。
 本書を通じて見ていくように、植物は人間とその環境世界のつながりを担
保する個性的な媒介者であり、人間自身の生き方と精神的な成長をナビゲー
トする「鏡」であり、またそれとの深い絆を通じて地球生態系の新たな次元
を創出してきた、かけがえのない共進化のパートナーでもあった。
 そうした真の意味で植物と共生してきた文化のソフトウェアを現代的な視
点で語りなおし、私たち自身の生きかたの可能性として自覚的に選びなおす
ことで、いま私たちのあいだに芽生えつつある(「エコ」や「スロー」とい
った言葉で表現させれている)新たな意識が、本当はどこへ向かう途上なの
か? を、少しは明確にすることができるはずだ。
 その過程で、森林や植物の問題が実は私たち自身の問題、「人間」の本質
に関わる問いにほかならないことも明らかになるだろう。
(竹村真一『宇宙樹 cosmic tree』慶應義塾大学出版会 v-vi)

「地球にやさしい」「人にやさしい」という表現が使われ始めて久しいが、
少しでも意識的な人であれば、どうにも居心地の悪い言葉であることは否定できない。
それほどではないにしても、「エコロジー」とか「自然保護」とかいう言葉も、
できればあまり使いたくない言葉のほうにかなりシフトしている感触がある。
それでも、「環境にいいことしてますか?」といったメッセージが
さまざまなメディアを通じて流れ、「持続可能な循環型社会」が
切実な課題として啓蒙されている現状がある。
もちろん資源の節約やリサイクルといったことに意味がないわけではない。
それらは私たち一人ひとりにとってとても大切な日々の課題であることに間違 いはない。

しかし、それらの背景にある世界観を考えてみると、
ある種、非常な貧しさがそこにはあるように思えてしまう。
資源やリサイクルや自然保護といった言葉の背景にある世界観には、
この地球で、そしてこの宇宙でともに生き、ともに進化しようとしている諸存在への
基本的な視点(というよりも共感・畏敬だろうか)が欠けているように思えるのだ。

その視点の欠如は、私たち自身の自己認識の欠如を意味している。
人間とはいったいいかなる存在なのだろうか。
いかなる宇宙進化を経てこれからどのように変容していこうとしているのだろうか。

そうした視点なくして、これから人類が生存してくために困るからというだけ の視点で、
地球にやさしくしないと資源が足りなくなってしまう、
資源を節約しないとこれから大変な時代を迎えてしまう、
私たちの子どもの時代には今の資源がなくなってしまうのではないか、
このままCo2がふえて地球温暖化が進めば困ったことになってしまう、云々云々、
といった視点のもとに、エコロジー、自然保護を唱うというのでは、
結局のところ、裏返しでさえないエゴイズムの延長線以外のなにものでもなく なってしまうだろう。

新たな文化の“OS”。
OSとはある意味、世界観、宇宙観のことでもあるだろう。
これまでのOSとはまったく異なったそれを私たちは開発しなければならない。
実際には、すでに準備されているのだが、
それは人間が自覚的に使おうとしなければ使うことのできないOSである。

汝自身を知れ!
そこから新たなOSの時代が開けてくるだろう。