風のトポスノート572

 

数え方の不思議など


2006.1.17.

 

 小学校一年生では、誰もがこんな問題を解いた経験があると思います。

【とい一】たろうくんは、ぶんぼうぐやさんで、ノート五冊とえんぴつを六本
かいました。あわせていつくかいましたか?

 なんてことはない、「五+六=十一」のとても簡単な問題です。でも、私は
数え方の部分がひっかかってしまって、どうしても素直に問題ができませんで
した。
 そもそも、どして「五さつ」と「六本」という違う数え方をするものが足せ
るのでしょう? しかも、「さつ」と「ぽん」を足した答えは、「さつぽん」
や「さつほん」ではなく、「つ」になるのでしょう? 考えれば考えるほど、
訳の分からない不思議な問題のように思えてくるのです。しかも、答案に
「十一つ」と書くと「答えは『十一』だけでいいです。『つ』はいりません」
と書かれているではありませんか。

(飯田朝子『数え方でみがく日本語』ちくまプリマー選書018/)

算数に限らず、ぼくの場合も、
本来学校が教えたがっているものとは違うところでいろんな疑問があった。

まず、ぼくががっこうでいちばんさいしょに躓いたのは
「おなじものを線でむすびなさい」

「おなじもの」がふたつもあるのだろうか。
ことばにはまだできなかったけれど、
ぼくには「おなじもの」なんか見つからなかったので
そのままにしておおいたら、先生から
「ちゃんと線でむすびなさい。おなじものはど・れ・な・の」
それで、「ない」と答えたかどうかわからないけれど、
さいごまで何にもできずにいた。
0点。
いまだにぼくのなかには、「おなじものなんかない」
とかいう感覚は残っていたりするけれど。

ぼくがなんとかそういう状態をはやめに脱したのは、
「そういうのはきまりなんだから、うそのはなしなんだから」
というふうに自分に教えてからだ。

しかし、今度は算数でまずつまづいたのが、
りんご5ことりんご3こをたしたらいつくになりますか?
といったたぐいの問題だった。
どうしてりんごの「5」というのは「5」なんだろう、
いろんなりんごがあるのに、とか
なぜりんご5ことりんご3こを足さなくちゃならないんだろう、
とかいうことを考えたりしていた。
別に足さなくてもいいじゃないか、そんなことしなくても、とか。
足し算をするなら、足し算で説明すればいいのに、
なぜわざわざ「りんご」なんて持ち出すのか。
具体的な事物と抽象的な数をどういっしょにするのかわからない。
それまでに兄の影響もあって、
足し算とか引き算とかはすでにできていたのだけれど、
上記の引用にあるように、文章にさえなっていなかったら、
できないわけでもなかったのだ。
ぼくには文章の意図のほうが理解不能だった。

違う数え方をするもの、といえば、
なぜ「さつ」と「ほん」がたせるのか、
なぜ「センチ」と「グラム」がたせないように、
足せるものと足せないものがあるのか。
こういったことも、変な文章にしなければ悩まなくて済むのに
と何度おもったことか。

上記の引用にあるように、
「十一つ」じゃなくて「答えは『十一』というのも、
その文章の背景にあるさまざまな慣用や文化などを理解することを求めるのであれば、
そのこともちゃんと教えなくてはならないという気がする。

でも、ぼくのように、いろんなことがわからなくなる性格だと
やっぱり学校というのは住みにくい。
先生のもっている常識とぼくのなかの謎がどうしても合わないのだ。
いまもそれは変わらない感じのまま…のような気がしている。