風のトポスノート516

 

魔法とはことばだ


2004.07.05

 

	 『ゲド戦記』のもっとも重要な主張は「魔法とはことばだ」ということです。
	魔法使いは、相手に「ことば」を投げかけ、術にかける。
	 「ことば」を投げかけることが魔法なら、我々の生きる世界、「ことば」が
	飛び交い。それによって影響を与え合うこの世界もまた魔法の世界ではないの
	でしょうか。たとえば、「女は男の支配下で生きよ」という暗黙の強制も、
	「女」にかけられた「魔法」ではなかったのか。
	 「わたしたちは間違う。間違ったことをする。動物はけっしてしないのに。
	どうしたら動物のようでいられるんでしょう?でも、とにかくわたしたちは過
	ちを犯しうる。犯してしまうのです。くり返しやってしまう」
	 「ことば」を覚えたために、人間は間違う。間違えて、間違えて、世界を破
	滅の危機にまで追い込んでしまう。だが、自由はその中で見つけるしかないこ
	ことを、ル=グウィンは(『ゲド戦記』の登場人物たちは)、知っていたので
	す。
	(高橋源一郎 アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記外伝」についての書評
 2004.7.4.付 朝日新聞 読書面より)
 
言葉ではいえないことがある。
というよりも言葉でいえることはほんのわずかでしかない。
しかし、それにもかかわらず、人は言葉なくしては生きていけない。
人は言葉の影響を深く受けざるを得ないし、
ある意味では言葉が人の世界を創っているとさえいえるのかもしれない。
 
そして言葉は語られる、というよりも騙られる。
故に、世界は騙りでできているというところがある。
 
実は大学をかろうじて卒業したときの卒論に
こんな本音を添えておいたことがある。
「人は騙らずに生きていくことはできない」
ちょっとした思いつきで添えてみたのだけれど、
後になってその言葉を思い出すたびに
やっぱりそうなんだよな、と思うことが多い。
 
だからといってすべての言葉を疑うというのでもないのだけれど、
少なくとも紋切り型の言葉やただ教育的な言葉の前では
それらが実質的に見ても「騙り」でしかないにもかかわらず
権力的な姿で「正しさ」を装って発せられるがゆえに
「ああした人は騙らずに生きていくことはできないのだな」
ということを痛切に思ったりもする。
「自分が騙っているのだということさえ気づかないままに」
 
それはともかく、人は言葉の網の目のなかで、
魔法使いの放った言葉にがんじがらめになって生きている。
自分ががんじがらめになっているということにさえ気づいていれば
まだしもなのだけれど、そうでないことのほうが多いように見える。
「そういうものだ」というのはその典型である。
その言葉は自分を「そういうもの」にする無意識の魔法の言葉なのだ。
 
人はすべて魔法使いである。
そして「魔法とはことば」なのだ。
ただし魔法使いには二種類ある。
意識的な魔法使いと無意識的な魔法使いである。
できれば意識的な魔法使いでありたいものだ。
そのほうが「自由」であることができる。
「間違い」はたくさんするとしても、
その「間違い」に気づく可能性に向かって開かれているから。
 


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