風のトポスノート506

 

簡単に言えない


2004.02.2

 

	簡単に言うということは、ほんとうにむつかしい。
	よく、「もっと簡単に言ってくれ」とか、
	あちこちで言いあっているけれど、
	簡単に言えるようなら、
	みんなとっくに簡単に言っているはずだ。
	辛い料理を食って「辛い」と言う、これは簡単だ。
	しかし、そんな簡単なことはあんまりない。
	簡単になんか、言えるものじゃないのだ。
 
	(中略)
 
	わたしは、あなたをしぬまであいします。
	わたしは、ひとのものをぬすみません。
	わたしは、ひとをころしません。
	わたしは、うそをつきません。
	こういうことを、10歳のこどもが言うとバカにされる。
	おなじことを、100歳の老人が言うと
	ひょっとしたらほんとうかもしれないと思われる。
	でも、100歳の老人は、それまでにさんざん
	逆のことをやってきたのかもしれない。
 
	人は、何かを簡単に言っているときに、
	いちばんウソをつきやすい。
	人は、なにかをむつかしく言っているときに、
	そのものごとから逃げていることが多い。
 
	じゃ、どうすりゃいいんだって?
	簡単には、言えないっつーの。
 
	(「ほぼ日刊イトイ新聞」ダーリンコラム2004-02-02-MON0)
	http://www.1101.com/darling_column/index.html
 
簡単に言えることは簡単に言ったほうがいいけれど、
むつかしいことを簡単に言うとウソになる。
 
人を煙に巻くためにむつかしいことをいったり
えへん、むつかしいことだって言えるんだぞ!と
偉そぶったりする人をみると
その人のことを信用したくなくなるけれど
その逆になんでも簡単にいえるほうがいいとか、
言えるはずだと思い込んでいる人をみると
この人って何も真剣に考えたことがないんだろうな、というのがわかる。
 
簡単そうに見えることでも
ちゃんと考えようとしたら
ほんとうはその簡単そうに見えることのなかに
いろんなむずかしいことが隠れているのがわかる。
でも、多くの人は、そのむずかしいのに耐えられないので
ま、ここらへんで手を打っておこうとばかりに
それは簡単なことなのだと自分さえも洗脳してしまうことになる。
 
たとえば、林檎が3個そこにあるということを
「3」という数字で抽象化するとかいうことにしたって
なぜその目の前の林檎が「3」でありえるのかを考えてしまうと
3+2がなぜ5になるのか、ということだって
ほんとうのところはわからなくなる。
でも、そんなことを考えすぎていたら計算とかできなくなるので
まあ、そういう規則があるのだということにしておこう、とか
林檎が3が「3」なんだからむずかしいことをいわなくてもいいじゃないかと
「数」という抽象化の謎は問わないで算数や数学を
Q&Aクイズのような感じで受けとめるようになっていく。
 
ぼくも、まあ規則だから仕方ないか、
ウソだけど騙されたふりをして計算しておこう、
そうすれば正解ということになるのだから、と
小学校の最初の頃、自分を納得させていたけれど、
ときたま、足すとか引くということがわからなくなって
そのあげく、数というものがあたまのなかで
魔物のようになってくるところがあったりした。
でも、これでもぼくは比較的数学は得意なほうだったんだ。
 
そういえば、小学校の最初のときのテストで、
同じものをむすびなさい、という問題があって、
ほんとうに混乱して0点をとったことを今でも思い出せる。
おなじものだったら別のところにはないはずなのに
なぜ別のところにある「おなじもの」があるのか?
そんなことに混乱しているうちに泣きそうになった。
これも、林檎が3個あることを「3」といってしまうような
抽象化と同じことなのだろう。
林檎が3個を「3」にしておこう、というのと
「おなじもの」が別のところにもあることにしておこう、というのとは
たぶん同じ操作がそこには必要になってくる。
 
「あなたを愛している」ということだって
それをあまりにも簡単にしてしまうことで、
人はすぐに愛していたはずの人といがみあったりするようになる。
それはそんなに簡単なことじゃなくて、
ほんとうにその人のことが好きかどうか
ずっと自問自答したりし続けて
そうすることではじめて
「ああ、私はほんとうにあなたが好きなのだ」ということを
少しずつ少しずつ実感していくことができることなのだろう。
 
もちろん、一目惚れ!っていうのも素敵だし、
発情してしまって大騒ぎしたりするのも
それはそれで楽しいことだと思うけれど、
それが通過した後に
少しずつ少しずつ「好き」がもっとふえていって、
そして「好き」を言えるようになるならば、
その簡単なことばのなかにあるとても複雑なものが
「好き」のなかで熟していることになるんだろうと思う。
 
でも、その最初のほうの「好き」とあとのほうの「好き」の違いを
おなじことばで簡単に言えると思ったら
やっぱり間違いなんだろうという気がする。
出会ってすぐの「好き」と
出会って1年後、10年後、20年後、30年後の「好き」では、
同じ簡単なことばの「好き」でも同じはずはない。
だから、やっぱり、簡単に言えることというのはあまりなさそうなのだ。
 
でもって、やっぱり、上の引用の最後のように
 
	じゃ、どうすりゃいいんだって?
	簡単には、言えないっつーの。
 
ということなのだ。


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