江戸時代の国学者である本居宣長や平田篤胤は机上で他界を空想する にとどまった。他界の民俗学的研究は、柳田国男と折口信夫の手ではじ めて開かれた。(…) 他界の研究は、いかなる文書記録も、また遺物や遺跡にも頼ることが できない。つまり歴史学や考古学はほとんど無力である。ただ頼りにな るのは、庶民の中に残っている古い伝承と、それにまつわる言葉である。 しかし他界は、古代人が「根の国」「本つ国」「常世」「妣の国」と呼 んだところであり、古代人の意識を秤にかけると、他界は現世よりもは るかに重かった。 私はあるとき歴史家の網野善彦さんに冗談まじりに言ったことがある。 「あなた方歴史家は海底までは追ってこれないでしょう」 歴史学も考古学も役に立たない世界がある。太陽の光線の届かない海 底で、ウミヘビ、ウツボ、ウナギ、アナゴ、ハモなどがあやしげに乱舞 する光景は、潜りの海人しか知らない世界で、それが文字化されること は全くなかった。 (谷川健一の『古代人のコスモロジー』作品社/2003.9.30発行/P4-5) なぜ「他界の研究」は、「庶民の中に残っている古い伝承と、 それにまつわる言葉」にしか向かおうとしないのだろうか。 民俗学が、「国家」の成立と深く関係しているといわれるのも、 そのことと深く関係しているように思われる。 「古代人の意識を秤にかけると、他界は現世よりもはるかに重かった」のは、 古代に向かえば向かうほど、人間は現在のように肉体に入り込んではいなくて、 「現世」よりも「他界」で生きていたからなのだろう。 しかしそれはいわば「集合的自我」のようなものだった。 従って、過去に向かって「他界の研究」を行なおうとすると、 おのずと民俗というよりも「民族」的なもののほうに向かうことになる。 そしてそれが、「国家」の起源にすりかえられる。 民俗学に関する研究はとても面白く読めるのだけれど、 それは歴史学や考古学と同様に、過去に向かう傾向が強いが故に、 ひとつには、まさに「海底までは追ってこれない」ことになり、 「他界」はシュタイナーのいうような意味で 自然科学が対象とする宇宙内容に対するときと同じ態度で、 研究活動を行なう」こととはほど遠くなる。 またもうひとつには、それらの過去を現在の人間の意識のフィルターで 見てしまう傾向が強くなってしまう。 たとえば政治家ひとつとっても、現在の政治家の在り方から それらが類推されてしまうことになりかねない。 しかしたとえば白川静が漢字を通じて見る古代は 古代が古代としてあったその根源に その漢字から迫ろうとするところがあり、 ある意味で、通常の歴史学や考古学、民俗学よりも、 深く古代を垣間見せてくれるところがあったりする。 しかもそれゆえに、現代を照らし出してもくれる。 「他界」は常にあるのであって、 「古代」にさかのぼらなければ存在しない世界ではない。 シュタイナーの『自由の哲学』は 「人間には越えることのできない認識の限界があり、 人間認識は不可視の世界の前で立ち止まらざるをえない」 ということに対する異議申し立てでもあったのだけれど、 「他界」を古代を調べる単なる民俗学的研究にしてしまったり、 「信仰」の問題にしてしまわない方法に目を向けたほうが ずっとアクティブでスリリングなのではないだろうかと思う。 そしてそうした「霊学の認識は、知的な好奇心を満足させるだけではなく、 生きる上での強さと確かさを与えてくれる」。 それはみずからの「魂」の活動そのものに関わってくるのだから。 みずからの「魂」の活動はすべてにおいて関わってくる問題であり、 それを「信仰」の問題にしてしまったり、 それらを見ないようにした上での研究というのは、 どこかでなにかが欠落してしまうように思える。 |
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