風のトポスノート496

 

メディアの共同幻想としての放送禁止


2003.9.9

 

	 調べてみると、そもそも「放送禁止歌」という言葉などなかったのである。
	正式には「要注意歌謡曲」という用語が紙の上にあるだけだった。民放連が
	1959年に「要注意歌謡曲指定制度」というものを決め、これに各局が従って
	いるだけのこと、べつだん法律でもなんでもない。たんなるガイドラインなの
	である。
	 しかしそれにしては次から次へと放送禁止や放送自粛がおこってきた。しか
	もいったんそうなると、二度とその歌はメディアのどこにもにあらわれなくな
	っていく。禁断される。けれどもその禁断はメディアの共同幻想らしかった。
 
	松岡正剛の「千夜千冊」
	第八百四十五夜【0845】03年09月08日
	森達也『放送禁止歌』2003 光文社
	http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0845.html
 
ここでふれられている、放送禁止になったことのある歌を挙げてみよう。
美輪明宏の『ヨイトマケの唄』、高田渡の『自衛隊に入ろう』、『スキンシップ・ブルース』、
フォーク・クルセダーズの『イムジン河』、なぎら健壱の『悲惨な戦い』、
山平和彦の『放送禁止歌』、赤い鳥の『竹田の子守唄』、岡林信康の『チューリップのアップリケ』。
松岡正剛作詞(小室等作曲)の『Zの挽歌』も放送禁止になったらしい。
 
放送禁止歌はおそらく放送禁止用語と対応しているのだが、
この放送禁止というのは絶対的な規則なのではなく、「ガイドライン」にほかならない。
しかしその「ガイドライン」というのは、「メディアの共同幻想」によって
さまざまにふくらんでいく。
というより、どこかから批判を受けるかもしれない可能性に対して、
それを未然に防ぐため、というのが実際のところなのだろう。
もちろんとくに公の広告宣伝物に関しても
表現上の明確な「ガイドライン」とかいうのがあって、
さまざまな「事前対処」が実質的に行なわれている。
 
メディアの共同幻想というのは、「空気」のなかで決まっていき、
その「空気」のなかであたりまえのように実体化してしまう。
しかしだれがそれを「決めた」のかとなると
おそらくはそれを特定することはむずかしい。
なぜ禁止しなければならないのかが議論されて決まるのではなく、
まさに「空気」のなかで決まっていくのだ。
 
こうした過剰反応的な事前対処というのは
メディアだけではなく日本のあらゆるところで起こっているが、
こういう現象と、なにかがいいとなればそれを検討するというのではなく
自動的にみんながそうしていくというような現象とはどこかで似ている。
 
クサイ物に蓋をしておけばたしかに臭わないけれど、
その「クサイ物」のことをちゃんと見ておかないと
それがほんとうにクサイのかそうでないのか、
ほんとうはそれがどういうものなのかがわからないまま
人の目の見えないところに遠ざけられてしまうことになる。
 
「Noといえない日本」とかいうのがあったが、
それは日々の現実のなかの「空気」そのものにあって、
「Noといえない」というよりも、「空気」のなかでそうなってしまい、
往々にして自分もその「空気」づくりに事実上加担してしまうというのが、
この日本という場のひとつの特徴なのかもしれない。
 
この日本において「賢く」生きていこうと思うならば、
その「空気」を機敏に察知しその流れにいちはやく乗っていくのが生きやすいのだろうが、
その「空気」がいったいどういうものなのかということを考えないとしたなら、
それはレミングの暴走のようになりかねないところもあるのかもしれない。
 
昨今のぷちナショナリズムとかいう動きにもそういう気配がある。
それはかなり永く停滞していてはけ口のないエネルギーが形成する
「共同幻想」的な気分として実体化しかけている気配もある。
「共同幻想」化してしまうとその「空気」を外から吸うことはできなくなり、
「そうでないもの」を見ることはむずかしくなる。


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