われわれには、家族でピクニックに行って写真を撮りたくなっているときも、 石庭や枯山水の庭を見ているときも、むろん盆栽や絵葉書や観光地の案内看板 や風呂屋のペンキ絵を見ているときも、そこに「山水」を想定する眼の習俗を もっている。 それを無視してはいけない。 われわれには、それをはっきり説明できないものの、いわば「山水らしさ」 というものにピンとくる何かが宿っているのである。たとえば、こんなことを 京都の老舗の和菓子司で遊んだことがあった。十数種の和菓子をつかい、さま ざま老若男女に黒漆の盆に好きなように置いてもらったのである。そうすると、 そこにいた全員が和菓子を「山水」のように配したのだ。 これは興味深いことである。 かつてカール・グスタフ・ユングは人々の心の奥に宿るマンダラ的造形に気 がついて、これをアーキタイプ(元型)とよび、そしてそれを応用してユング 派の精神医たちが「箱庭療法」というものを開発したのだが、あるいはこのよ うなことが、中国や日本のわれわれには「山水アーキタイプ」として宿ってい るかもしれないからである。すなわち山水を見ると心の奥にしまわれていた何 かの元型が解発されるというものだ。「山水そこにおはす」が甦るというもの だ。 しかし、もしそうだとしたら、われわれは中国の山水観念や山水画のアーキ タイプやプロトタイプがどういうものかを知らなくてはならないだろう。 (松岡正剛『山水思想』五月書房 2003.6.10.発行 P290-291) 松岡正剛の『山水思想』には、副題に「もうひとつの日本」とあるが、 その「もうひとつの日本」はこうした「眼の習俗」ということでもある。 自分が育った山水をどう見るかということが、われわれの「内なる方法・外な る方法」をつくってきた。これはいってみれば母なる方法とでもいうもので、 母語のなかで、母国語によって育ってきたものである。この母なる方法を、私 は本書では「山水的なるもの」と「日本的なるもの」に措いてみた。 とあるが、「日本」を「日本的なるもの」をとらえようとするとき、 それを国家や民族というような方向で政治的にとらえるのではなく、 このように「眼の習俗」とでもいうものによってとらえるほうに魅力を感じる。 わたしたちのうちにある「元型」としての「山水」。 もちろんそれは固定的にあるものではなく、 また人それぞれに「そこにおはす」「山水」は さまざまなかたちをもって現われてくるのではあり、 また現代のように非常に均質化された景観のなかで育つことによって、 内なるマンダラとしての「山水」そのものが機能しなくなることもあるのだろうが、 それにしてもおそらくそうした「山水」は わたしたちが日々つかっている母語としての日本語のなかに それを形成する形態形成場のように働いているのではないだろうか。 そういう意味でも、たとえばアルファベットという記号体系が中心にある母語と 五十音というのがあり、ひらがな、カタカナ、漢字に加えたアルファベットという 記号体系のなかで生きている私たちとでは、 「心の奥に宿るマンダラ的造形」はおのずと異なってくるように思える。 シュタイナーは、教育に関する講義のなかで、 たとえば魚FischのFを魚のかたちに見立てながら そのFischということばを教えるという方法について語っていたりするが、 この方法はアルファベットというかなり抽象化された貧困な記号体系を いかに生きたかたちとして教えるかという方法でもあるのだろう。 そしてオイリュトミーなるものもその方法の延長線上にあるように思える。 五十音という音の体系と、 ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットという かなり豊かな表示記号体系のなかに置かれている私たちにあってみれば、 そうした貧困を基礎に置く方法とは別の方法、 たとえばその「山水」的なるものを使ったもっと豊かな方法などが もっと模索されてしかるべきなのではないだろうか。 「山水そこにおはす」ということ。 それは自然環境のなかにおいても、また言語環境のなかにおいても、 かなり豊かなかたちで「心の奥に宿るマンダラ的造形」として育ってきているはずで、 それはたんなる「眼」にかぎらないわたしたちの生きた全体に関連したものでもある。 それをいかにわたしたちを生かすものとして引き出してくるかということに たとえば教育においても医療等においても使わない手はないと思うのだ。 おそらくわたしたちはオイリュトミー等よりも もっと豊かで自然に用いることのできる方法の可能性をもっている。 オイリュトミー等はあくまでもそのなかの一部として位置づけられたほうがいいだろうし、 むしろそれらを西欧的な部分を意識魂的に見出す方法として位置づけることで それらもまた生きてくることになるのではないのだろうか。 |
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