風のトポスノート484

 

歴史の実験


2003.6.8.

 

        岩井 アメリカ社会は
           資本主義と非常にマッチしていて、
           わたしが批判しているような経済学者たちは、
           たしかに荒唐無稽なことをやっているんですが、
           それなりの意味がある。
 
           彼らは、人間の合理性を
           とことんまで追及した理論を作り、
           しかも、たとえばデリバティブの市場のように、
           現実に経済の仕組みを、
           作りあげてしまうんですよ。
           徹底的な理論を作り、それを現実に試す。
           常に、実験をしているんです。
           しかも、優秀な人たちが多い。
 
           わたしは、主流派の経済学を
           いろいろ批判していますけど、
           その主流派の経済学は、
           「人間が、もしも合理的な存在で、
            貨幣なんかなかったら、何が可能か?」
           ということを
           徹底して考えてくれているわけですから。
 
        糸井 そうなんですよね。
 
        岩井 「倫理がなくてどこまで社会が可能か」とか。
 
        糸井    『カラマーゾフの兄弟』で言う大審問官を、
           アメリカは、自分のところでやってるんですよね。
 
        岩井 まさに、やってるんですよ。
 
        (岩井克人×糸井重里対談篇
         続・会社はこれからどうなるのか?
         第5回  主流派の体力。
         http://www.1101.com/iwai/index.html)
 
アメリカは世界を「アメリカ」にしようとしている。
それがグローバリズムということにほかならないのだろう。
そしてそのことでいわゆる「ナショナリズム」が
世界中で活性化することにもなる。
 
グローバリズムは「力」と「金」の論理であり、
ある意味で合理主義の徹底ということであるが、
その合理主義の徹底が「ナショナリズム」という
合理主義とは対極にあるものを喚起させることになる。
 
歴史はいつも「実験」しているのかもしれない。
「倫理がなくてどこまで社会が可能か」というのもそのひとつなのだろう。
 
どんな条件のもとではいったいなにが成立可能なのか。
また何が成立を困難にするのか。
 
王制のもとでは、貴族制のもとでは何が可能か。
独裁制のもとでは何が可能か。
民主主義のもとでは何が可能か。
宗教を中心に置いたときには何が可能か。
実質的に宗教を排したときには何か可能か。
そして何が成立するのが困難になるのか。
 
経済的な条件、宗教的な条件、精神的な条件、制度的な条件、
合理を徹底化した条件、非合理なまでの状況による条件…、
さまざまな条件のもとで、いったい何が起こるのか。
途中で条件が転換したときには何が起こるのか。
ひとりひとりの人間においてもそれらの実験が
夥しく行なわれているのだということもできる。
 
そういう視点で自分という存在を見てみたときに、
自分におけるさまざまな条件とその可能性ということにおいて
なにがしか見えてくるところがあるのかもしれない。
自分を条件づけているさまざまなもの。
疑ってもみなかった条件、意識してはいるが逃れがたい条件、
自分から望んで得ようとした、もしくは得た条件。
そして自分が自分に対して実験するとしたら
いったいどのような条件を課し、そこから何を得ようとするのかという視点。
 
ところで自分はいったい今何を得ようとしているのだろうか。
 


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