風のトポスノート482

 

母語と母国語


2003.6.1.

 

         「母語」ということばに私がとりわけこだわるのは、じつは、日本語には
        いつの頃からか「母国語」ということばが作られて、それが専門の言語学者
        によってさえ不用意にくり返し用い続けられているからである。
         母国語とは、母語のことば、すなわち国語に母のイメージを乗せた扇情的
        でいかがわしい造語である。母語は、いかなる政治的環境からも切りはなし、
        ただひたすらに、ことばの伝え手である母と受け手である子供との関係でと
        らえたところに、この語の存在意義がある。母語にとって、それがある国家
        に属しているか否かは関係がないのに、母国語すなわち母国のことばは、政
        治以前の関係である母にではなく国家にむすびついている。
        (…)
         母語は、国家という言語外の政治権力からも、文化という民俗のプレステ
        ィージからも自由である。そして何よりも、国家、民族、言語、この三つの
        項目のつながりを断ち切って、言語を純粋に個人との関係でとらえる視点を
        提供してくれるのである。
        (田中克彦『ことばと国家』岩波新書(黄版)175/1981.11.20発行P41-44)
 
たとえばドイツ語のMuttersprache、英語のmother tongueを
独和辞典、英和辞典では母国語と訳していることが多い。
母語に、どこかで「国」が挿入されている。
 
日本の学校教育では「国語」という名称が日本語の授業では用いられている。
なぜ「国語」なのか、漠然と疑問に思ってはいたのだけれど、
それはそのまま「国」の「言語」ということなのである。
 
「国語」という言葉は、明治のはじめにつくられた言葉らしい。
明治18年、三宅米吉らの「方言取調仲間の主意書」に「我が日本の国語」と表わされ、
やがて明治27年にヨーロッパ留学から帰った上田万年が
「国語と国家と」という象徴的な題の講演を行なったという。
それまでは「邦語」「日本語」「国言葉」といった言葉がさまざまに使われていたのが
その頃から「国語」という表現が定着したらしい。
そして、日本語の授業は「国語」の授業となり、辞典は「国語辞典」と称することになる。
 
面白いことに、柳田国男の昭和11年に書かれた文章のなかに
「国語という言葉は、それ自身新しい漢語である。
是に当たる語は、古い日本語には無いやうに思ふ」という指摘があるらしい。
明治20年代の終わり頃にから使われるようになったにもかかわらず、
昭和11年の時点でもまだ「国語」という表現は「新しい漢語」という語感だったのである。
そして今ではおそらく「国語」という表現にそういう語感はどうもない。
 
こうした「国語」という表現にかぎらず、
ずっと前からそうだったように思われていることの多くが、
思いの外新しい歴史を持っているのがわかる。
「伝統」という言葉が多く何かを正当化するためのレトリックであることもわかってくる。
もっとも、かなり古くからあるものもたしかにあるのだけれど、
それにしても古いからといってなにがが正当化されるものでもないのはもちろんである。
どちらにせよ、無意識的な盲従や
「国」ということばを忍び込ませることなどによるレトリックには
十分気を付けたほうがいいということなのだろう。
 
それはともかくとして、ぼく自身の「母語」ということを考えてみると、
それもなんだかよくわからなくなってくるところがある。
それはそのまま「国語」としての日本語そのままではないし、
だからといって「母」から伝えられた言葉そのままでもない感じがする。
しかも、こうしていわばネイティブ的に使っている言葉にしても
それはなにかから翻訳されている言葉のような感じも否めない。
この言葉以外に比較的自由に使える言葉もないのだけれど、
その言葉さえも何かの翻訳語のように思えてくるのである。
 


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