風のトポスノート473

 

論壇とそこでは捨象されるもの


2003.4.9

 

         無論、物書きが文芸誌や批評誌を編集することは少しも珍しいことでは
        ない。つい少し前までだって『批評空間』という雑誌があった。吉本隆明
        だって何年か前までは『試行』を出していた。むしろ、物書きにとって雑
        誌を作るというのは当たり前の仕事だ。
         それでも敢えてそのことに注意を喚起するのは、たった今、福田和也や
        鎌田哲哉や市川真人や小林よしのりや、それからぼくといった、立場も物
        書きとしての生き方もそれぞれに異なる書き手たちが同時多発的に「雑誌
        作り」を始めたのは何故なのかを読者にも、そして現在、文芸誌や論壇誌
        を刊行している出版社の人たちに考えてもらいたいからだ。多分、そこに
        は互いに確かめあったこともないが、共通の危機意識がある。つまり、物
        書きが自前のメディアを持たなくてはいけない、と決意せざるを得ないほ
        どの絶望的な状況に「文芸誌」も「論壇誌」もある。危機的というのは二
        重の意味で、一つには物を書く場としてそれらのメディアが機能不全を起
        こし、あるいは社会的な役割を果たせなくなっていること。もう一つは、
        三千部を売ることさえ困難な大手出版社の純文学系文芸誌が出版社にとっ
        て不良債権化している、という事態。いつそれらの雑誌がなくなっても不
        思議ではない状況に実はある。文壇や論壇やそこに生きる人々がどうなっ
        ても知ったことではないが、自分が物をいうべき場所、あるいは発言すべ
        きと考える人々が発言すべき場は「自前」で用意しておきたい。
        (大塚英志「疎外された天皇を『断念』するために/カドカワムック178
         大塚英志責任編集「新現実」Vol.02 2003.4.1発行 編集後記より)
 
このところ、大塚英志関連のひとりエポック授業を続けている。
 
大塚英志が昨年からこの「新現実」という
「自前」の雑誌を刊行しはじめていたのを知ったをきっかけに
大塚英志の「論壇」系の発言を集中的に読みながら、
(『戦後民主主義のリハビリテーション』角川書店に
90年代後半のものがまとめられている)
この「新現実」にも関わっているらしい東浩紀の批評なども
読み進めたりしている。
 
また、ちょうど文庫化された大塚英志の「木島日記」なども読みながら、
「論壇」系の発言と小説作品などとの関係についても
なんとかその全体像をつかもうとしていたりもするが、
東浩紀が『郵便的不安たち#』(朝日文庫)でも述べているように、
「大塚英志はなかなか複雑な人物」で、
その複雑さを理解しようとすることは、
そのまま現代という時代の複雑さを理解することになるのかもしれない。
 
正直いって、「論壇」的なものは肩が凝るし、
気分が明るく元気になるのとは反対の状態になり、
しかもほとんど出口なしの泥沼状態になってくるところがあるので、
できれば避けておきたいと常々思っているのだけれど、
大塚英志がなぜこれほどの「熱」のこもった活動をしているのかを思うと、
こうしたことにいちおう自分なりの受け皿を持っておく必要を感じるようになった。
 
とはいえ、やはりこうした「論壇」的なものや
サブカルチャー的なものというのは、
どちらかというと距離をとってきたものでもあるし、
こうした在り方において捨象されるさまざまなことのほうが
どうにも気になってしまうほうなので、
あくまでもひとつの受け皿でしかないのだけれど。
 
捨象されるものの多くは、まさにシュタイナーの精神科学的な方向性であって、
たとえば、ヘルムート・エラー『人間を育てる』のなかで
6年生での最初の鉱物学のエポックの時間に、
長石、水晶、雲母という三つの原石が花崗岩のなかに見つかる・・・
といったことがでてくるように、
どうもそうした自然学的なことなどとか
捨て去ってしまったような印象があったりもする。
 
で、ぼくとしては、「自前で用意しておきたい」のは、
そうしたことについて少しなりとも「自己教育」していけるような、
そんな場所だったりもするわけである。
 
しかし、やはり先週から今週にかけて
広島でも市議会議員選挙、県議会議員選挙を前に、
あの不毛なというか美意識のない、名前の連呼が街中でなされていたりもするわけで、
そうしたなかで、まったくぼくらしくもないことなのだけれど、
やはりある種の政治的な方面での危機意識も自ずとでたりもするのである。
 


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