風のトポスノート467 

 

拳について


2003.3.19

 

        手はときに拳となってふりあげられる
        そのためにこそ手があるのだといわんばかりに
        悲しいことにそして滑稽なまでに
 
        その拳をとめられるのは
        その拳よりも大きな拳だけなのだろうか
        拳は大きければ大きいほどに正義となり
        その大きな拳を止められるものはだれもいない
        
        けれど大きな拳は
        振り下ろすその重みのために
        やがてみずからを傷つけざるをえなくなる
        
        拳をめぐって私にできることは
        拳を見ながら嘆く以外にはおそらく何もないが
        少なくとも目の前の拳やみずからの拳を
        じっと見てみようとすることだけはできるだろう
        
        これまでに振り下ろされようとしたこの拳を
        自分こそが正しいのだという憤りの奔流を
        その拳がその後で流れ着いたその行き先を
        
        それはもはや祈りと呼ばれるには
        あまりに滑稽な作業に見えるだろうが
        そのことで拳を別の何ものかへと
        変えていくことはできるのかもしれない
 
        はりあげられる大きな大きな声よりも
        無に近いほどのピアニッシモの声が
        魂の海に響き渡っていくように
 


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