手はときに拳となってふりあげられる そのためにこそ手があるのだといわんばかりに 悲しいことにそして滑稽なまでに その拳をとめられるのは その拳よりも大きな拳だけなのだろうか 拳は大きければ大きいほどに正義となり その大きな拳を止められるものはだれもいない けれど大きな拳は 振り下ろすその重みのために やがてみずからを傷つけざるをえなくなる 拳をめぐって私にできることは 拳を見ながら嘆く以外にはおそらく何もないが 少なくとも目の前の拳やみずからの拳を じっと見てみようとすることだけはできるだろう これまでに振り下ろされようとしたこの拳を 自分こそが正しいのだという憤りの奔流を その拳がその後で流れ着いたその行き先を それはもはや祈りと呼ばれるには あまりに滑稽な作業に見えるだろうが そのことで拳を別の何ものかへと 変えていくことはできるのかもしれない はりあげられる大きな大きな声よりも 無に近いほどのピアニッシモの声が 魂の海に響き渡っていくように |
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