風のトポスノート461 

 

語りなおし


2003.3.1

 

         語りとは語りなおしのことである。語りのなかでひとは自分を編みなおす。
        「自己のアイデンティティとは、じぶんが何者であるかを自己に語って聞か
        せるストーリーである」と述べたのは、(反)精神科医のR・D・レインだ
        が、生きるということには、このような「じぶんに語って聞かせるストーリ
        ー」が自他のあいだで、そのストーリーをたがいに無効化しあう齟齬や不協
        和音を惹き起こしながら何度も何度も破綻する果てしのない過程であるとい
        える面がある。あるいは、そのなかでそのストーリーをたえず別のしかたで
        語りなおすべく試みる過程であるともいえる。ストーリー(物語)を壊して
        語りなおすこと、それを壊して壊して、どこか別のところに引っ越すこと。
        物語ることによって、これまでとは違ったかたちでじぶんにかかわれるよう
        になると言ったのは、そういうことである。
         言葉は、かたちを求めてうごめくものにかたちを与える。言葉がかたちと
        なって、かたちなきものが固められる。「語る」とは自己の記述のしなおし
        であるかぎり、そこにどうしても「騙る」という契機が忍び込まざるをえな
        い。そして、自分をある物語のなかに「それがわたしだ」というふうにうま
        く挿し込むことができるのは、それがひとつの物語であることを忘れて、じ
        ぶんそのものであると感じることによるのだから、「語り」はそれがしっく
        りくるものであるだけ「騙り」であるとは見えなくなる。「語り」と「騙り」
        のすきまが埋まってしまうのである。だから、ある物語を身から引きはがす
        ことは、ほとんどじぶんを破綻させることと同じになる。そして物語が強固
        であればあるだけ、語りなおしは困難になる。だから、語りなおしには、ま
        ず硬直した物語をぐらつかせるということが必要になる。が、物語をぐらつ
        かせることはそのまま自己をぐらつかせることなので、そこに一種の介添え
        というものが必要になる。臨床での<聴く>といういとなみには、そういう
        ふうに物語を解くという面がある。
        (鷲田清一「臨床と言葉」(一)「語り」について
         河合隼雄・鷲田清一『臨床とことば』所収
         TBSブリタニカ 2003.2.17発行 P200-201)
 
語ることは騙ることである。
騙らずに人は生きていくことはできない。
そして世界は劇場であって、
その舞台で人はさまざまに演じている。
 
そうとらえることで、
ぼくはようやくなんとか生きていく力を
自分なりにつくりだすことができた。
二十歳過ぎの頃のこと。
 
自分が何なのかわからない。
そのわからなさを
とりあえずの物語のなかで騙り、
演じている存在としてとらえてみること。
 
しかしそうとらえることは
すべて「とりあえず」のものでしかなく、
最初からかなり固定した物語を生きていて
それを物語さと思っていないような人に比べて
その演じ方の強度にはどうしても違いがでてこざるをえない。
自分の演技のあまりの稚拙さにためいきばかりでてくるわけだし、
別の演技のできない自分に苛立たしさを覚えるばかりのことも多い。
 
実際、いわばこの世を強く生き抜いていく力というのは
かなり思いこみが強くなければ得られないように思える。
ゆらがない確固としたアイデンティティ。
舞台に立ったとたんその役割に入り込む集中力。
 
政治家は政治家のアイデンティティをつくろうと奮闘し、
教師は教師の、財界人は財界人の、官僚は官僚の…、
さまざまなアイデンティティづくりによって
自分が自分であることを囲い込んで安心しようとする。
しかもその作業には驚くほどの労力が注ぎ込まれる。
 
しかしアイデンティティの固さというのは、
それが機能しなくなってきたときにもろさにもなってしまう。
まさに「語りなおしは困難になる」わけである。
 
カルマ的連関によってさまざまな困難が生じるときなどにも、
おそらくそうしたアイデンティティの「語りなおし」が
要求されているところがあるのかもしれない。
 
しかし、パーソナリティというのはペルソナ(仮面)ではあるのだけれど、
そのペルソナのなかでしか自分を表現できないというところに
今の自分というアイデンティティの両義性があって、
そのなかでペルソナを生きる強さと同時に
それを「語りなおす」ことのできる柔軟さがほしいと切に思う。
 


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