風のトポスノート459 

 

臨床のホメオパシー


2003.2.28

 

        鷲田 先生は前に「治療行為というのは話を聴くというけれども、実は聴く
        ということは、承って、そしてこうではないですかと言うんではない。むし
        ろその人の世界に入っていくと、実は入り込んできた人が自分に距離を取れ
        るというような効果があって、そういう一種の自己回復力みたいなものに期
        待する」とおっしゃっていましたですね。
        (河合隼雄・鷲田清一『臨床とことば』
         TBSブリタニカ 2003.2.17発行 P135)
 
臨床はホメオパシーに似ている。
 
主体が対象に働きかけるというのではなく、
対象を自分のなかに入り込ませながら
いわばそのダイアローグによって
「自己回復力」を育てていく。
 
主体が対象に同化するというのはなく、
そこにつくりだされるダイアローグによって
それまでカオスであったなかに「距離」が生まれる。
 
そこには近代合理主義的な主体と対象の二元論はないが、
神秘主義的な同一化というのではない
新たな観点が見出せるのではないだろうか。
それはむしろ神秘学=精神科学に似ている。
 
認識のために、自分という認識主体を固定するのでも、
一方通行的に対象を見るというのでもなく、
その認識主体そのものの認識の在り方をいわば育てていく。
 
教える、というのも、
多くはどうしても一方通行になってしまうのだけれど、
それではおそらくなにも教えることができない。
教育とは引き出すことだというが、
さらにいえば、そこにまだはじまっていないダイアローグを
育てていくことなのではないだろうか。
 
そのために必要な「距離」がある。
意識をリフレクションさせるというのもその「距離」にほかならない。
 
「聴く」ということの深みと可能性を思う。
 


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