風のトポスノート456 

 

天使からのおくりもの


2003.2.14

 

        なにがてんしからのおくりものか
        それをみわけることができるだろうか
        
        はなでもなくほしでもなく
        おかしでもほがらかなこころでもなく
 
        それはたぶん
        このわたしたちじしん・・・・・・
 
        (谷川俊太郎「天使とプレゼント」/『クレーの天使』より)
        *『神秘学概論』ノートの番外編として
 
「てんしからのおくりもの」をみわけるということは
たぶん「このわたしたちじしん」のことを
みわけるということなのだろう
 
わたしたちはてんしから
「ねつ」や「くうき」や「みず」、
そして「つち」の
さまざまなかたちのたねをもらいながら
ようやくこうして
「てんしからのおくりもの」のことを
かんがえてみることもできるようになった
 
あるてんしは
わたしたちにただしいみちを
わきめもふらずにあるかせようとし
またあるてんしは
わたしたちを「ゆうわく」し
わきみちをあるかせようとする
 
しかしただしいみちだけがみちではなく
「このわたしたちじしん」のことをみわけるためには
いろんなみちのことをしらなければならないのだろう
みちくさのないみちはつまらないから
 
そして「てんしからのおくりもの」をみわけるということは
たぶん「このわたしたちじしん」のいる
せかいのことをみわけるということでもある
 
せかいをみて
おどろくことができるということは
「このわたしたちじしん」をみて
おどろくことができるということだ
そのふたつはべつのことじゃない
おどろけなくなったとき
わたしたちは「てんしからのおくりもの」を
みわけることができなくなったということなのだろう
 


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