風のトポスノート454 

 

ものめずらしさの終わり


2003.2.10

 

        インターネットに関係する人たちにとって、
        いま、とても大事なときだという危機感がある。
        これまでにも、何度か、さまざまな転換の時期があったが、
        ぼく自身の心持ちとしては、
        いまが最も大きな「考えどき」だと思っている。
        (…)
        草創期には、
        さまざまなインターネットに関係した仕事が、
        どれも、ある種のものめずらしさのおかげで、
        質を問われないままに成立していた時期があった。
        (…)
        しかし、これを読んでいるあなたも、
        きっとそうなんだろうと思うけれど、
        いま、インターネットを、どう楽しんでる?
        (…)
        「ほぼ日」を、もう4年半も続けていて、
        いまが正念場だと感じているのは、
        「ものめずらしさの終わり」ということなのだ。
        いままでだったら、おもしろがってもらえたものも、
        大人の仕事としての評価にさらされるようになると、
        「つまらない」と言われるようになるはずだ。
        いや、もう言われているかもしれない。
 
        *ほぼ日刊イトイ新聞
        ダーリンコラム 2003-02-10-MON <ものめずらしさの終わり>より
        http://www.1101.com/darling_column/index.html
 
パソコン通信を含めればネットをはじめて13年になる。
インターネットに移行してからでも足かけ6年。
始めた頃と比べれば、ネット環境はずいぶん変わってきたけれど、
「神秘学遊戯団」の中身というのは、そんなに変わっていない。
 
毎日のように何かを書いてみる日もあれば、
忙しかったりその気になれなかったりして
一週間ほど書かずにいたりするときもあるけれど、
まあなんとか続いている。
そういえば、先日ラジオでかまやつひろしが
有名なミュージシャンからKeep on!といって
励まされたエピソードを語っていた。
続ければいいというわけでもないけれど、
keep onというのも大事なことではあるかもしれない。
 
たしかに最初にパソコン通信なるものを始めた頃は
「ものめずらしさ」というのがあったりもした。
けれどそれはあっという間に終わることになる。
HPを最初に立ち上げたときにも
少しだけだけれど「ものめずらしさ」もあった。
それまでネットで書いてきたもののなかから、
仕事とかでお金をもらってるんじゃないというのもあって、
クオリティのことなどもあまり考えもせず、
一気呵成に登録したりもした。
いったい誰がこんなのを読むんだろうか、とか思いながら(^^;。
 
そうしたなかで、HPを少しは参考にして下さる方や
MLに参加していただける方も少しずつ増えてきてはいるのだけれど、
たしかに、やはりそろそろ考えなくてはいけなくなってきているのかもしれない。
まずは、ぼくはそれをおもしろがっているのだろうか、ということ
そして参加していただいている方は
おもしろがっているのだろうか、ということ。
もちろん「おもしろい」というのは
ワハハだけではなく、もっと広い意味だけれど。
 
考えてみれば、
こうして世界のなかで存在していることも
最初は「ものめずらしさ」があったりもするのだけれど、
それだけではなかなか続かない。
ときには面倒になったりもする。
それが折悪しく増幅されたりもすると
自殺なんかという結果になったりすることもあるんだろうけど、
「ものめずらしさの終わり」のあとに
いったい何をするか。
そのことを考えることが必要なときもあるような気がする。
 
歳をとる、ということは
そういうところもあるんだろうし、
そこのところを超えられるかどうかというのが
神秘学的にも大事なところなのじゃないかとか思ったりもしている。
 


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