糸井 十文字美信っていう人は、思えば、ずっと、 「おまえは誰だ?」 と言われつづけた人なんですね。 十文字 (笑) 糸井 「おまえは誰だ」っていう人生(笑)。 (『十文字美信的世界』 第4回 麻薬栽培地で、神話の巻物を探す。 ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/jumonji/2003-01-16.htmlより) 「おまえは誰だ?」と言われ続けることは難しい。 人はすぐに何かに分類されてしまうし、 自分でも自分を何かに分類して安心しようとする。 自分が〜たらん!とすることには それなりの意味があることもあるのだけれど、 その〜たらん、がなにかに分類されてしまうことになると、 今度はその分類が外から内からその人を規定するようになり、 そこから逃れるのがむずかしくなる。 職業名や肩書きや組織や性別や民族やなんだかんだ。 そんななかで、こういう十文字美信のような人がいるのはうれしい。 すぐれた写真家ではあるのだけれど、その底をぶちやぶって、 いやその箱を飛び出して、つねに分類されないものがそこにある。 ぼく自身、おまえはよくわからんやつだ!と 以前からよくいわれ続けていたりするのだけれど、 その度ごとに、それをむしろ肯定的に受けとめるようにしている。 こうしてネットをしているなかでも、 ぼく自身なにかに分類されたくはないし、 このMLやHPも分類をすり抜けるものでありたいと願っている。 たとえば、シュタイナー関連のものが重要ではあっても、 常に「遊戯」を身上としていられたらと思っている。 さて、この十文字美信をはじめて知ったのは、 春秋社からでている『澄み透った闇』(昭和62年3月30日発行)の 犬を始祖とする少数民族ヤオ族についてのもの。 今、ほぼ日刊イトイ新聞で糸井重里と十文字美信に対話 『十文字美信的世界』連載されているがめっぽうおもしろく、 久しぶりに『澄み透った闇』を本棚から見つけてきて、 あらためてそれを最初に読んだときの興奮が甦ってきた。 この本はほんとうにスリリングな本なのだけれど、今でも手に入るのだろうか。 現在のところ、次の5回分が掲載されているが、 その対話のなかでも、そのヤオ族のことがでている。 ・第1回 黄金の次は、わびだと思った。(2003-01-13) ・第2回 犬を飼ってみたら……。(2003-01-14) ・第3回 犬を調べていたら、ヤオ族に辿りつく。(2003-01-15) ・第4回 麻薬栽培地で、神話の巻物を探す。(2003-01-16) ・第5回 呪術師に見こまれちゃった。(2003-01-17) ちなみに、十文字美信の新刊『わび』が淡交社からでたところで、 ちょっと高い(23,000円)のでしこたま立ち読みしただけなのだけれど、 これもまためっぽうすごい。 しかも相変わらず分類されえないものになっていて、 その分類されない何かのなかからぼくに力が流れこんでくる。 |
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