最近ではあまりはやらなくなったが、私は今でもミシェル・フーコーの 「知の考古学」という概念が好きだ。思い返せば、「知の考古学」とは、 文字で書かれた「文献」のみを調べ、整理し、記述する「歴史学」に代わ って、文献には残らない同時代のアルシーブ(全文化の記録)のどこかに 痕跡が残っている民衆的記憶を、考古学が遺跡にたいしてやるように丹念 に掘り起こすことで、いままでは見えてこなかったエピステーメー(ある 時代・あるグループに共通する認識的基盤)を浮き彫りにする作業だった はずである。 だが、一時の流行が過ぎ去れば、言葉と一緒に概念も用済みになるもの と思っているジャーナリズムでは、この「知の考古学」もすでに蔵の隅に 片付けられてしまったものと見なされているようだ。 ところが、実際にはそうではなかったのである。構造主義の担ぎ手たち がどこかに消えてしまったあと、構造主義ともフーコーとも無縁であるか に思われた日本の代表的な小説家と劇作家の共同作業によって、この「知 の考古学」が日本で具体的に実践され、成功していたのだ。しかも、この 言葉がはやる以前から、またその栄枯盛衰を気にすることなく、実質にお いて同じことをやっていたのである。いうまでもなく、回数100回を超え る丸谷才一・山崎正和の「対談」による知の類型のあぶり出しである。 (丸谷才一・山崎正和『二十世紀を読む』中公文庫・解説/鹿島茂 より) 即物的な実証主義というのは困りもので、 結局のところそれは想像力の欠如でしかない。 目に見えるものを前において、これがここにあるというのは、 確実なようでいて、群盲象をなでる、ようなものになる可能性は高い。 自分の認識のための窓を固定したままにしておいて、 そこから何も見えないと、それは存在しないということになってしまうからだ。 シュタイナーのように、イマジネーション認識、インスピレーション認識、 イントゥイション認識とかいう類の認識を得て、そこから まったく文献も痕跡もないものを確実に認識するというのは困難だとしても、 丸谷才一・山崎正和の両氏が行なっているような「知の考古学」的な試みは、 もっとなされてしかるべきなのではないだろうか。 両氏の対談を最近になって読み始めたのけれど、 『二十世紀を読む』、『日本史を読む』など、とてもスリリングで、 こういうのをたとえば高校とかの教科書にするなどして、 どんどん議論を展開させていけばいいのではないかと思う。 「教科書をつくる」運動だとかいういうのも、これまでの教科書をふくめて、 そういうのがいかにつまらないものなのかということが実感されるのではないか。 加えていえば、こういう「知の考古学」的なアプローチを進めていくならば、 そしてそれを神秘学的な観点にまで広げていくならば、 現代人の認識様態を古代にそのままあてはめるような稚拙な在り方も反省され、 まさに「いままでは見えてこなかったエピステーメー」も 明らかになっていく可能性があるのではないだろうか。 |
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