風のトポスノート442 

 

IF


2002.12.7

 

         これまで、数限りなく、歴史の上でのイフについて語られてきた。
         我々は、無邪気にも、過去に戻りさえすれば、歴史を変えることができる
        と信じてきたのである。映画のフィルムのように、巻き戻してハサミで切り、
        新しいフィルムを繋ぎ合わせればよかろう、と。
         しかし、我々の認識は、あまりにも甘かった。我々は、取り戻せないもの
        があることを知った。日々の選択を無為に委ね、自分たちの人生をいかに軽
        視してきたかを、改めて思い知らされることになったのである。
         今、我々は、現実を直視しなければならない。もう一つの人生というもの
        は、この世に存在しないのだということを。我々の人生は唯一無二のもので
        あって、代替品は存在しない。それが我々の人生の価値を高めることはあっ
        ても、決して我々に絶望を与えるものではないことを、私は信じたいし、今
        ここで一緒に確認したい。
         だが、私は、これが非常につらい選択であることも承知している。我々は、
        過去の罪も、あやまちも、悔やみきれない唾棄すべき行為も、全てをありの
        ままに受け入れなければならない。
        (恩田陸『ねじの回転 FEBRUARY MOMENT』集英社/2002.12.10発行 P9)
 
IF。
もし〜だったら。
ドイツ語ではWENN。
仮定法、条件法。
もし、〜だったら、〜だろう、だったのに。
今という現実への異議申立。
 
さいしょに時間旅行をテーマにしたSFを読んだのは、
もう小学校のなかばくらいのことだったと思うのだけれど、
そのときにも過去が変わったら今が変わる、
変わったとしたらこの今はどこにいってしまうのだろう、
という素朴な疑問がわいてきたことを覚えている。
 
その後、中学生くらいになって、はじめて相対性理論なるものを知り、
(ブルーバックスを読んだのもそれがはじめてのことでその後病みつきに)
時間を遡るということはいったいどういうことなのだろう、ということを
兄といっしょに尽きることのない議論をしたこともよく覚えている。
それは、時間という川を遡るようなものなのだろう、とか。
今から思い出してもかなり素朴な議論だったのだけれど、
やっと自我のよちよち歩きの時期になってきていて、
「時間」をテーマにできる意識状態になっていたのだろうと思う。
 
その後、おそらくそれとシンクロするような形で、
「死」ということを、
どこまでも暗い闇のイメージでとらえた「死」を
意識せざるをえなくなってきたように思う。
もし過去を変えることができたとして、
その原因がぼく自身を消滅させることになったとしたら、
この今ここにいるぼくという存在は
最初からいなかったことになる…、
そして、ぼくの死んでしまった後というのも、
ぼくはそこにいないのだから同じような暗い闇そのもの…。
そうしたことを繰り返し寝床で考えながら
まんじりともせずに朝を迎えるということも度々のことだった。
 
ところで、IFということを考えることができるというのは、
意識のひとつの高次の能力のひとつ、
意識の新たな状態を生み出すための萌芽のようなものかもしれない。
今あるこの「現実」に対して、
そうでなかったかもしれない別の「現実」を提示する。
ぼくがあのときこうしなければ、
こんなことにはならなかっただろうに…。
面白いのは、そうしたIFを持ち出すことができるというのは、
今ここにおけるぼくの意識というのが前提になるということで、
それがなければ、〜だったかもしれないのに、
ということもでてこないということである。
つまり、別の、そうであったかもしれない「現実」というのは、
今あるこの「現実」をその根底において持っているということになる。
 
おそらくある種の「可能性」というのは、
そうした意識の重層性が開いていくものなのかもしれない。
「今ここにいること」というのが
ある意味で時間に対して垂直にある、ということでもあるように、
たとえばカルマ論的連関のなかにありながら、
「今ここにいること」というのは、
過去にも未来にもいることになるということ。
それは「全てをありのままに受け入れなければならない」ということでもある。
しかしそれは、意識を平板にして自分に都合のいいぶぶんだけを見て
「あるがままでいい」と逃避するような在り方とは逆のものなのだろう。
そういう意味では、なかったことにしよう、ということはありえない。
むしろ、そうであったものを変容させよう、ということになる。
時間が意識であるということもそのことと関連してとらえる必要があるのだろう。
 
ところで、この引用部分は恩田陸の新作『ねじの回転』から。
最初そのタイトルをみたときヘンリー・ジェイムズの作品を連想したが
(そういえば英語の講読で読んだことがあったりする)
2.26事件をめぐる歴史SFで、けっこう読み応えがある。
恩田陸の元気なこと。
 


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