風のトポスノート429 

 

影響


2002.9.4

 

        <TBSアナウンサー 林美雄 7月13日死去>
         70年代、ラジオ深夜放送の全盛期。TBS「パック・イン・ミュージック」の
        パーソナリティとして、若者たちのカリスマ的存在だった。
         番組は日本のサブカルチャーの解放区。ATGや日活ニューアクションの映画、
        先鋭的な小劇場演劇、デビュー前後の荒井(松任谷)由実や山崎ハコ、石川セリ
        ……。無名に近かった作品やアーティストを紹介し続けた。当時ディレクターだ
        った梅本満さんは「新しい才能を発掘する天才。林さんに日本の映画やポップス
        の奥深さを教えられた」と振り返る。
        (朝日新聞 2002年9月3日「惜別」)
 
深夜放送をきくことで、その日その日をなんとかしのいでいた時代があった。
中学生の頃はオールナイトニッポン、そして高校になって、
地方局では放送されていないのを、アンテナなどを張ってまで
セイ・ヤングやパックインミュージックもきくようになった。
同級生などもほとんどだれもきいていないであろう番組たち。
 
そのなかでもその数年間印象に残っているのが
その林美雄という存在だったことに、この記事で思い出した。
そのやわらかく包容力があるけれど決して押しつけがましくはない声の存在。
たしかその番組は「緑豚パック」とか称していたように記憶している。
この記事に添えられている写真ではじめてその顔を見て、
その「緑豚」というのはご自分の戯画的な愛称だったのだなと想像する。
 
そういえば、先日福山雅治のカヴァーアルバムのなかに
「プカプカ」という曲があったが、
それをはじめてきいたのはたしか
その林美雄の番組のなかで原田芳雄が歌っていたもののように思う。
この記事のなかにもあったけれど、
今は井上陽水と結婚している石川セリはこの番組で出会ったのだという。
 
「ぼく」という存在をつくりあげてきているものは
生まれてこのかた無数にあって、
それらの影響をさまざまに受けながら「ぼく」がいるわけだけれど、
その影響のなかでも意識できる大きなもののひとつを
こうして思い出してみることで、今の「ぼく」のことを
ちょっと別の視線で見てみたりもできるのかもしれない。
 
あのころぼくは何を考えながら
ベッドサイドに置いた小さなラジオから流れてくる音をきいていたのだろう。
ぼくはぼくであろうとすることにわけもわからず強迫的で
かぎりない不安と同居しながらも
その深夜の孤独なエアポケットのなかで
ぼくという存在の「いま」と「明日」をつくっていた。
 
そういえば、その頃、「二十億年の孤独」という詩集のある
谷川俊太郎という詩人をはじめてしった。
そのタイトル「二十億年の孤独」に
みずからの茫洋とした孤独を重ね合わせながら、
はるか二十億光年の彼方からやってくるようにも思える
深夜のラジオから流れる音に身を委ねていた。
それは今のこのぼくという存在の織り糸のひとつとして
自分でもきづいてさえいねいような模様のひとつを織りなしているのかもしれない。
その不思議をあらためて思う。
 


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