風のトポスノート417 

 

アー・ユー・ハッピー?


2002.8.2

 

        ほぼ日  矢沢永吉さんも糸井さんも、
                「53歳って、いいよ」と言ってます。
                たとえば20代や30代の読者にとっては、
                50代は、かなり遠いものですよね。
                その年齢は、まだまだ想像もできない、と言うか、
                「つらそう?」とさえ思えるものかもしれない。
 
                矢沢さんがテレビのインタビューで、
                「まわりがやっと見えはじめたのは、
                 40代後半だもんね。
                 オトナになったの、48歳や49歳だもん。
                 若い時の自分なんて、もう、サルよ、サル」
                と言っていたことも、
                あぁ、そういうものなのか、と思いました。
 
                (…)
 
                「50代って、いいよ」
                という話にポーンと抜ける前の40代は、
                かなりキツイ時期なのですか。
 
        糸井    迷う時期なんです。
                だからこそ、すごく多くの人が
                若い異性のハートを射止めることに走ったり、
                芸ごと……趣味に没頭したり、するのだと思います。
                でも、自分の道の中心じゃないところでの
                「おまけ」で、いくらすごいとか言われたとしても
                ほんとうには、嬉しくないんですよ。
 
        (ほぼ日刊イトイ新聞「53/矢沢永吉、50代の走り方。 」
         「第7回 未来のレールは、ひとつじゃない。」より)
 
矢沢永吉に関心をもったことはほとんどなかった。
比較的最近でも、缶コーヒーのCMがいいな、というくらい。
それが、ほぼ日刊イトイ新聞の「53/矢沢永吉、50代の走り方。 」を読み始めてから、
少しずつ興味がではじめ、『アー・ユー・ハッピー?』という、
「成りあがり」に続く著書を読んで感動していたりする。
 
自分の関心領域のほとんど外にあったものが、
視界にはいってくるというのはとても新鮮で、
その波紋が投げかけ、そして波及していく体験はとても貴重なものだ。
 
少し前に刊行された武久源造の著書のなかで、河合隼雄との対話があり、
そこで『中年クライシス』が話題になっていたのだけれど、
ちょうど古書店でほぼ同時に『アー・ユー・ハッピー?』と
『中年クライシス』を見つけたというのも、
いつもながらのシンクロニシティで興味深い。
これも、ぼくになにかを気づかせようというサインのひとつなのだろうから。
 
『中年クライシス』(河合隼雄著)に、「中年」についてこうある。
 
         中年とは魅力に満ちた時期である。それは強烈な二律背反によって
        支えられているように思う。男と女、老と若、善と悪、数えたててゆ
        くと切りがないが、安定と不安定という軸でみると、これほど安定し
        て見えながら、内面に一触即発の危機をかかえているように感じられ
        る時期はないだろう。
 
たしかに、20代や30代のぼくというのは、
たしかにサルだったかもしれないし(^^;、
今もたぶんそんなに変わったものでもない。
しかし、サルを妙に人間と同じように見たがる研究者もいるけれど(^^;)、
やはり、サルのままでは人間ではない。
(宇宙進化論的にいえば、動物は人間の脱ぎ捨ててきた進化系統なのだけれど)
そのために、40代の「クライシス」があるのだろうなとか思ったりもしてみる。
「まわり」が少しなりとも「見えはじめ」るために、
通り抜けなくてはならない通過儀礼の質次第で、
たぶん50代の「抜け」が変わってくるように思う。
 
この「53/矢沢永吉、50代の走り方。 」の特集記事と
『アー・ユー・ハッピー?』という著書は、
そういう意味でも、『中年クライシス』向けのものかもしれない。
そういえば、『アー・ユー・ハッピー?』の最後で、
矢沢永吉は、中年サラリーマンなどに元気の出るエールを送っていた。
 
やはり、歳を経るということは、
人間にとって、生まれてこなければ得られない
宝物を与えてくれるものなんだということが、
ようやくサルを脱皮しようとしているかもしれないぼくにも、
わずかながらわかりかけてきたところなのかもしれない。
 


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