風のトポスノート410 

 

八掛けの時代


2002.6.3

 

        武久 先生が『中年クライシス』に書いておられた孔子の言葉の解釈ですが、
        「四十にして惑わず」は、本当は惑うんだけど「惑わない」と言いたいんだ
        っていう、あれは意義深く感じられました。じゃあ、「五十にして天命を知
        る」はどういうことなんでしょう。
        河合 五十でね、ぽっと話が変わるんですよ。それまでは、身を立てるとか
        自分が迷うとかです。ところが、話が天になってしまう。つまり、自分の努
        力と違う話になる。それまでは人間の努力なんです。人間が志を立てて学ん
        で惑わなくなって、それでどうなるかいうたら、今度は天の方に注文をつけ
        るという。五十で、話のスケールが変わるんです。
        武久 ということは、五十までは天命を知らなくてもいいわけですか。
        河合 そうです。だから、早うから天命を知ったりしたらろくなことはない
        んです。五十まではいろいろやって、煩悩があって、そのあげくに天命がく
        るから、強くなれるんですね。弱い時に天命を聞くと、金閣寺に火をつけち
        ゃったりとか、そういうような天命になっちゃう。
        武久 すると、先走りますけど「六十にして耳順う」つまり理に従うという
        ことは、五十代は耳に順わなくても……ということですか。
        河合 そうなんです。段々なんですよ。ほんで「七十にして矩を踰えず」で
        しょ。ただ、今は長寿になってますからね、ちょっとずつシフトしないと。
        天命を知るのは六十くらいですね。死ぬにが遅くなってますから、まあ八掛
        けくらい。
        武久 そうか、じゃあ八十くらいで、「矩を踰えず」。よっぽど難しいんで
        すね、それは。
        河合 難しいですね。己の欲するままに従っても矩を踰えないんですからね。
        ずっと辛抱して矩を踰えないんじゃなくて、したいことをしているのに、矩
        を踰えないというのはすごいですよ。
        武久 ああ、これは。ちょっと先行き面白い。そうしたら、僕は四十三歳な
        んですけど……。
        河合 まだ前に出ていいです。八掛けくらいでいいですから、五十くらいま
        では大丈夫ですよ。
        (武久源造『新しい人は新しい音楽をする』
         ARCアルク出版企画/P161-163)
 
「導師たちによれば、どのような人も四〇歳になる以前に
公然とオカルティズムの教師になることは避けるべきなのである。
(誰かがそれ以前に教えを説く場合、常に誤謬の危険にさらされる)」
とシュタイナーは記しているが、
もちろんこれは、四〇歳になったら公然と教えを説いていいというのではなくて、
シュタイナーとかグルジェフのような場合がそれだといえるのだろうから、
凡人に適用したりするととんでもないことになる。
そういえば、グルジェフもいわゆる「教え」始めたのは、42〜44歳頃のようである。
 
で、この「八掛けの時代」。
「教え」ることとは別にしても、
人にはそれぞれのレベルで変容の節目のようなものがたぶんあって、
それを孔子なんかも、四〇にして惑わず、とかいったのだろうけど、
確かに現代では、八掛けか、それ以下あたりでとらえたほうがよさそうだ。
 
ぼくも既に四〇を超えているものの、
惑いは増えこそすれ、減るようなものではない。
中年クライシス!である。
まあ、惑っていることさえわからない、ほどでもなくなってきたかもしれないが、
何かが解決しそうにもない、というのは明かである(^^;)。
故に、「八掛けの時代」、なるほどである。
まだ、「惑わず」なんていうようにならなくてもいい。
(というわけでもないけれど、惑っている言い訳にはなる(^^;))
 
ところで、武久源造さんはぼくと同じ年なので、
なんだか人ごとでない感じでこれを読んでいた。
少なくとも、とりあえず五十になるまで頑張ってみよう、という感じである。
たぶんそのときは、「八掛け」ならぬ「六掛けの時代」に
なっているのかもしれないけれど・・・(^^;)。
 


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